あなたに出逢ったその瞬間からきっと、

 蛇口を捻ると同時、立ち昇った湯気が一瞬、視界を遮る。  あたたかなそれにしばし身を晒しながら、そういえば最後に氷風呂に入ったのはいつだっただろうかと、 「ロレーン!」  ぎゅう、と。背中に圧しかかってきた重みに、思考が中断する。  覚えのある熱は、ともすれば目の前で音を立てて溜まっていく湯よりも熱いのではないだろうかと錯覚するほど。  この子の体温はいつだって高い。けれども触れたら火傷をする、なんてことはもちろんなくて。心地良く包み込んでくれるような、そんなあたたかさだ。  本人にはそんなこと、口が裂けたって言ってあげないけれど。  さてその当人はといえば、私がそんなことを考えているとも知らず。髪が乱れるのも気にせず、額をぐりぐりと背中に擦りつけてきている。まるで大きな犬みたいだ。 「まだ溜まってないわよ、デルフィーヌ」 「知ってる。ただこうしたいだけ」 「おかしな子」  嘆息とともに呟いてみてもどこ吹く風、うふふ、だなんて楽しそうな笑いをこぼしながら、身体をさらに密着させてくる。  感じたいの、と、彼女は言っていた。誰よりもあなたの近くにいるんだって感じたいから抱きしめるの、と。あの純粋な眸にただ私だけをとかし込んだデルフィーヌは、混じりのない心を口にした。  それは本来、私のような人間に向けられるべきものではないはずなのに──他人を騙すことを生業としていない、善良な人間に向けるべきものであるはずなのに。  まっすぐ、彼女は見てくれた、あなたの傍にいたいの、と。  嬉しいけれど、それはそれ、これはこれ。  なにかと理由をつけては所構わず抱き付いてくるデルフィーヌは、遂には理由さえも作らず本能のままに身を寄せてくるようになった。  決して鬱陶しいわけでは──いや、離れてほしい場面もあるけれど、そうではなくて。 「…軽率にそんなことすると、」 「わ、わっ、」  するり、拘束から抜け出し素早く体勢を入れ替える。  警戒なんて少しもしていなかった彼女を浴槽の縁に無理やり腰かけさせ、そのあごをすくい上げた。  顔を寄せて、くちびるの端を持ち上げる、できるだけ意地悪く映るように。 「また、たべちゃうわよ、ここで」  目の前の、まだ幼さも残した彼女がぐ、と言葉を呑み込む。  勢いよくバスルームを満たしていく湯気が、私たちをあたためていく。早く止めないとじき、溢れてきてしまうだろう。それでもこの子が白旗を上げるまで、目を逸らすことはできなくて。  そうして目の前の眸がまたたいたかと思えば、次の瞬間浮かべた表情は、私をそのまま切り取ったかのようなそれ。  首に両腕を回してきた彼女は、笑みをかたち作ったくちびるを耳へと寄せてくる。 「──たべられるのはロレーンの方、でしょ?」  ああ、なんて。なんて生意気な子。  首に触れた指先が鎖骨をなぞり、さらに下へ。この指の持ち主がさっきまで背中から熱を送り込んできていたせいで、身体の芯がくすぶって仕方がないというのに。細い指一つに、その熱がどうしようもなく、煽られていって。  なんて、なんて単純な私。  一体いつから、なんて、答えはもうわかりきっている。 「─…デルフィーヌ、」 「なあに」  至近距離で見つめた眸はけれどやっぱり、純真そのもので。  どうか私の眸が欲を隠しきれていますようにと、叶っていそうにない願いを呑み込みながら、やわらかなくちびるに飛び付く。  あふれたお湯が、ふたりを濡らしていった。 (それでも簡単にたべられてあげるつもりはないけれど)
 デルフィーヌちゃんといっしょだとあったかいお風呂に入るロレーンさん。  2017.11.2