たくさんたくさん、あいしてください。

 けっして綺麗とは言えない背中だけれどそれでもわたしの目にはなによりも美しいものに見えた。 「──も、ぅ、…やめなさい、って、」 「やだ」  我ながら子供みたいな返しだとは思う。思いはするけど、はいわかりましたと大人しく指を引きたくはなかった。  だって知ってしまったから、ロレーンは背中がいっとう弱いことを。  背骨のくぼみに指を沿わせる。うなじから下へ下へ、焦らすみたいにゆっくりと。どこでつけたとも知らない傷跡の残る肌が、わたしがなぞる先からびくりと震えていく、まるで電流が走っているように。  ひとつひとつに反応を示してくれる彼女がいとおしくて、ひっそり、悟られてしまわない程度の笑みを。背中越しだからきっと、気付かれてはいないはず。それでなくてもいまの彼女には、わたしの表情を察する余裕はないだろうけど。  諜報員にとって背後を取られるということはイコール、死だ。  特に、日々危険と隣り合わせで生きているロレーンは、他の人間に不用意に背中を見せたりはしない。長く諜報活動に身を投じてきた彼女には、その癖とも呼べるものが染み付いていた。  だからこそ、わたしに対して無防備でいてくれることが嬉しくて。背中を──身体のどの部分であっても、触れさせてくれることにこんなにも、心が震えて。 「そこ、ばっかり、…馬鹿の一つ覚えじゃ、あるまいし」 「むう。じゃあどこがいいのよ」 「っ、ぁ、」  ちりちりと鈍く走る快感にも慣れてきてしまったんだろうか。それはそれで面白くない。  随分回るようになってきてしまった言葉を抑えたくて、へその裏側あたりをぺろりと一舐め、そうすれば弾かれたみたいに腰が浮いた。まるで伸びをする猫のようなかっこうだと、思ったのはそんなこと。  さっきと同じ場所に口づけを送りつつ、指はさらに下を目指す。  高く上がった尾てい骨を撫でる。びりびりと、身体を震わせている様子が指先からでも伝わる。シーツを強くかたく握りしめているのか、ロレーンの爪が白く染まって。かたちのいいお尻にするりと指をもぐり込ませればすぐ、湿ったそこに触れた。 「ここ?」  答えることはきっと、彼女のプライドが許さない。わかってはいるけどそれでも、聞きたかった。枕に顔をうずめたロレーンは、だけど下半身だけは高く掲げていて。  イエスと捉えたわたしは、指を奥へと押し進める。  く、と。鳴ったのはロレーンののど。  部屋に響いているのは、愛をふんだんに含んだ水音と、彼女の口から洩れる噛み殺しきれなかった息遣い。今日は音楽をかけていなくてよかった、だってこんなにも、彼女の音が聞き取れるから。  彼女の手の甲に自身の手を重ね合わせ、指を絡め取る。シーツに嫉妬するなんて。 「ね、ロレーン」  背中にぴったりとくっつき、体温を分け合う。いつもはどこまでも冷たい身体がわたしの温度に近付いているという、ただそれだけのことに、頬が綻んでいく、ともすれば泣いてしまいそうなくらいに。  名前をどうにか拾ったロレーンがようやく枕から顔を覗かせる。  眸がまたたいて、わたしを映して。  なあにと、言われた気がした。 「すきよ、ねえ、すきなの、こんなにも」  すき、なんて言葉では到底、伝えきれるはずがなかった。  わたしの中にこんな熱情が眠っていただなんて知らなかった、知り得なかった、彼女に出逢うまで、心の在処さえわかっていなかった。  いとおしい、と。まるでまっとうな人間みたいな感情を抱けるなんて、思ってもいなくて。  雫をたたえた眸がまたたく、わたしの想いすべてを受け止めるように。 「…私も、」 「…え、」  ぐいと、首を巡らせた彼女がくちびるを重ねてくる。  熱を帯びたそこが紡いだ、一度しか言わないからよく聞きなさい、と。 「──あいしているわ、デルフィーヌ、こんなにも」  思えばそれは、彼女からもらったはじめての、愛の言葉。  視界がにじんでいく、だって嬉しかったから。わたしが向けているものと同じくらいに、彼女も想ってくれていたことが。あいしているのだと、たしかな心を伝えてくれたことが、こんなにも。  ついばむみたいな浅い口づけをもう一つ。熱が頬を流れていく。 「─…もう一回、言ってくれる?」 「…気が向いたら、ね」  また枕に頭をうずめてしまった彼女に今度こそ、満面の笑顔を浮かべてみせて。  そうして背中にくちびるを落とせばふるり、いとおしい人が震えた。 (たくさんたくさん、あいさせてください)
 あいにおぼれる。  2017.11.11