私の顔も三度まで。
湯気で視界が白く煙る。
ほうと息をつけば、少しばかり世界が晴れて。くすぐったい、と。目の前の背中が楽しそうに揺れた。
「てっきりロレーンは苦手なのかと思ってたけど」
「なにが」
「あったかいお風呂」
浴槽の両のふちを掴み、ぐ、と背中を伸ばす。今日も今日とて酷使した関節が小気味いい音を残していく。
真似でもしているのか、ぐいと上体を反らしたデルフィーヌの逆さまの眸が、私を覗き込む。濡れそぼった髪が頬を離れ、はらりと落ちた。
いつもながらしなやかな身体だと、思ったのはそんなこと。
「別に嫌いじゃないわよ」
「わたしがお湯ためると嫌がるのはだれかしら」
「じゃあ私がひとりで氷風呂に入ると寂しがるのはだれかしら」
「さあ、だれかしら」
無邪気に眸を細めた彼女は上体を戻し、いそいそと背中を寄せてくる。
一生のおねがいだと、切実な様子で頼み込まれたのは三日前。ロレーンと一緒にお風呂につかりたいけどこの時期に氷風呂は凍えてしまうから、と。
そんな一生のおねがいも今夜で三度目。拒絶できない私も大概、この子に甘いのかもしれない。
私の足の間で身を丸めているデルフィーヌは、上機嫌に鼻歌を鳴らしている。今週のヒットチャートの上位らしいその曲は、テレビからもラジオからもひっきりなしに流れているそれだった。
流行曲を聞き流しながら、揺れる湯から見え隠れする背中をなんとはなしに眺める。
彼女だって決して小さくはない背丈のはずなのに、こうして見ればこじんまりとかわいらしく映る。それとも私がかわいらしくないサイズなだけなのか。
「ロレーン?」
ふと抱きすくめ、彼女がよくそうするように、肩にあごを置き目を閉じる。
いつもは―芯まで凍えるほどの水に浸かった後だからかもしれないけれど―火傷してしまうのではないかとも思うこの体温も、いまは同じ温度でとけあっていた。ともすれば身体の境界さえ曖昧になっていく感覚に、まどろみまで差し込んでくる。
こうして体温を分けてくれるデルフィーヌは、そのまますやすやと眠ってしまうことが常なのだけれど、実際同様のことをしてみれば、なるほど心地良い。
「ロレーンってば」
「なぁに、ハニー」
あるいは少しばかり、夢に片足をひたしていたのかもしれない。
口からこぼれた、普段は音にすることのない呼称に、身を寄せた背中がびくりと驚いたように震えた。次いでみみたぶにそっとくちびるを触れさせれば、背を丸め逃れようとする。いちいち反応を返してくれる様子がかわいらしいから、逃がしてなんてあげないけれど。
前に回した両手でおなかを撫でる。かたちのいいへそをなぞれば、ん、と幾分高い声が洩れて。
「…ね、ロレーン」
わずかに首をひねったデルフィーヌの眸が私を捉える。
水面を反射して揺れる眸はどこか、期待に満ちているようでもあって。
「もう一回、呼んで、」
一生のおねがい、と。付け加えたそれに微笑みを返して。
「──残念だけれど、聞いてあげられないわ」
少し、意地悪く映ったかもしれない。
自覚しながらも、それでも堪えきれない笑みを浮かべながら、その小さな肩にくちびるを落とした。
(だって慣れてしまったら面白くないじゃない)
なかよくお風呂に入ってるといい。
2017.11.16