人はそれを弱さと呼ぶのだろうな。
陽光がこの部屋を照らすことを忘れてからいくつ時が経っただろう。まだ両手で数えられる程度だった頃、もっと明るい場所へ移らないかと提案してみたものの、少女の返事は淀みのないノー。マリアさまのお手を煩わせるわけにはいきませんから、と。
「あら、今日は甘い香りをまとっていらっしゃるんですね」
こつり。靴音を響かせるよりも早く、においを嗅ぎ付けたらしい少女が嬉しさを声ににじませた。もう窺えない澄んだ眸で見つめられていた頃も、すぐに隠し事を見破られていたが、気配だけを辿っている今でも彼女の前では嘘が通用しないらしい。
諦めの代わりに肩を竦め、膝を折る。片足を立て恭しく、後ろ手に隠し持っていたそれを差し出した。
「これは、…ひまわり、ですか?」
「ご名答。今朝、一番最初に花開いたものを君に、と思ってね」
「マリアさま…ありがとうございます…!」
晴れやかな笑顔が見えなくなって久しいが、それでも私の眸にはありありと、彼女の表情が映るようだった。ほら、今だって。
傍らの机に置かれた花瓶に、持参した一輪を差し入れる。
少しでも聖女の心が癒されますようにと、願うことしかできなかった。少女のひととききりの笑顔を引き出すことくらいしか、私にはできないから。
「っ、マリアさま、なにを、」
「ああ、すまない」
首の後ろに両腕を回すと、びくり、彼女の肩が震える。謝罪を一つ、留め金がはまった手応えに身体を離せば、彼女は止めていた息を洩らした。
恐る恐る胸元に手を伸ばし、今しがた付けられたそれに触れて。
「これは…?」
「お守り、だと思ってくれればいい」
もはや人の形を成していない頭部へと変貌してしまった彼女がどうか望みを抱いてくれるように。どうかまだ、自分の脚で外の世界へ踏み出せる未来があるのだと信じてくれますようにと。
鍵を握りしめた彼女がふと、見上げてくる。きっと微笑みを浮かべているに違いないと、信じ込みたいのは私の弱さ故だった。
嬉しいです、と。
「でもわたし、マリアさまとこうしてお会いできるだけでいいんです」
──あなたさえいてくだされば、わたしはそれでいいんです
それでは駄目だというのに。彼女に必要なのは私ではないというのに。
そ、と。鍵を握りしめたままの手に、自身のそれを重ねる。また、びくり、震えて。
いつか彼女自ら、私の腕の中から出ていけますようにと。
「──私もだよ、アデライン」
(それでも私から手を離すことはできなくて、)
心弱き狩人と狩人だけを求めた聖女。
2016.8.9