それでも後悔はしていないと笑っていたかった。
「起きてママ! もう朝よ!」
溌剌とした声とともに、穏やかな重みが加わってくる。耳をくすぐるこの音の持ち主は天から降ってきたのだろうかと、寝惚けた頭が考えるのはそんなこと。
まだ夢に引きこもっていたいと駄々をこねるまぶたを叱咤すれば、栗色の光が差し込んできた。眩しさにつと、目をすがめて。
「スケートにいく? それともドライブ?」
「そうねえ、どっちが早く夢を見られるか競争するのはどう?」
上体に身体を預けてきていた娘を捕まえくるりと毛布に包めば、楽しそうな笑い声がくぐもっていく。このままもう少し惰眠を貪っていたいという願いはきっと叶わないのだろう。わたしにとって久しぶりの休日は、娘にとっても久しぶりの母親と過ごす時間なのだから。
無駄な抵抗だとわかってはいながらそれでも、まぶたは本能に忠実に下がっていこうとする。リンディの軽やかな音をバックに、やがて視界はゼロになって。
「──もう。やっぱり起こせなかったのね」
娘とは違う、音。自然に手を伸ばしてくるその声に掴まり引き上げられてみれば、さっきと似た色の光がわたしを照らした。
「朝ごはん。できてますよ」
光り輝く天使の羽をまとっているように映って、またたきを一つ、そんなものがあるはずもないけれど。
わたしの拘束から抜け出したリンディがベッドから飛び降り、とてとてと彼女に駆け寄っていく。見覚えのない光景だというのに、どこかしっくりと当てはまるような、そんな感覚。ともすれば姉妹にさえ見えてくるふたりに、微笑ましさがこみ上げてこないわけがない。
リンディに服のすそを引っ張られた彼女はベッドに近付くと、縁に腰を下ろして頬に手を伸ばしてくる。細められた深緑の眸はいとおしさをそのまま映しているように見えた。
「あのね、テレーズとね、パンケーキ焼いたの」
「一緒に作ったのよね」
顔を見合わせたふたりが、ねー、と。声を揃えて笑っている。鼻を利かせてみれば、開け放したままの扉の向こうから食欲をくすぐる甘いにおいがほのかに流れてきている気がした。途端に空腹を覚えたおなかが早く物を入れろとせがんでくる。
それでもぬくもった毛布から出ようとしないわたしに視線を送ってきた彼女が、だから早く起きてくださいと続けて。
「じゃないと──、」
***
「──冷めちゃいますよ?」
天から、降ってきた。
まぶたを押し開けまたたきを一つ、二つ、淡い光が朝だと告げてくる。既視感を覚える光景に、けれど小さな天使は見当たらなくて。代わりに深緑の眸をぱちりとまたたかせたテレーズが顔を覗き込んできていた。
なにか言おうと開いたくちびるが音を紡ぐ前に手を引いて毛布に引き込む。わっ、と小さな声を洩らしてすっぽり腕の中に収まった彼女を思いきり抱きしめ、うなじに顔をうずめた。
息を、吸い込む。香水に混ざった甘いにおいを嗅ぎつけて、切なさに胸が震えた。
「どうしたんですか、甘えたさん?」
「─…ちょっと、ね、」
くすぐったそうに笑ったテレーズの声がどこか、あの子と重なった気がして、
「しあわせな夢を、見ていただけ」
(叶わぬ夢におぼれてしまいそうになっただけ)
夢はいつだって無情で残酷。
2016.3.25