それでもわたしは何度だって口にしてしまうのだろう、
目を奪われる美しさだった。
両手をコートのポケットに差し入れた女性がふと、なにかを思い出した風に灰がかった眸を向け、艶やかな紅色のくちびるを綻ばせている。モノクロの写真だというのに、ファインダーを覗き込んだときそのままの色が浮かび上がってくるほど、彼女はその瞬間を生きていた。
慌てて写したせいかわずかにピントがずれているそれに、思わず視線が縫い止められてしまう。
膨大な写真を整理した際にこれも、他のとりとめもない写真たちとともに忘却の彼方へ追いやろうとした。過去のキャロルとともに、わたしの記憶に刻み込まれている彼女をすべて。けれどできなかった、できるはずもなかった。仕舞いこんでも捨ててしまっても、後から後からあふれ出してしまうことはわかっていたから。抜け出す術を知る前に、彼女に惹きこまれてしまったのだから。
写真を両手で掲げ、そ、と。口づけを落とす。このころの彼女と触れ合うこともなかったそれをひたと、ほんの数瞬だけ。
「──できれば本物を見てほしいのだけれど」
「え、っ、あ、」
飛び上がった、なんて言葉は比喩ではない。
突然降ってきた声がまるで目の前の写真から発せられた気がしたのだ。取り落としそうになったそれをなんとか胸に抱え、慌てて振り返れば、同じようにズボンのポケットに手を隠し入れたキャロルその人が、悪戯を見つけた子供のような笑みを浮かべていた。
いつからいたのだろうか、なんて、さっきの言葉を辿れば容易にわかることだ。
かあと熱を持っていく頬がどうか目に留まってしまいませんようにと俯く。そんなわたしに構わず、伸びてきた指がいとも簡単に写真を摘まんでいってしまう。ああ、と、感嘆にも似た息が洩れ聞こえて。
「やっぱり素晴らしいわね、あなたの撮るものはどれも」
「…キャロルは贔屓目に見過ぎなんです」
「仕方ないわ、事実だもの」
時折、彼女はわたしを褒め殺すつもりではないかと疑ってしまう。キャロルはいつだってわたしを認めてくれるから。たどたどしいピアノの腕前を、ずり落ちてきそうなサンタクロースの帽子を、そうしてピントの合っていない写真を。
手持ち無沙汰になってしまった指を胸の前で擦り合わせる。このまま褒められることで息が止まってしまってもいいからどうか、この熱の原因である部分に触れられませんようにと。
「ところで、」
けれど無情にも、願いは聞き遂げられなかったみたいで。
わざわざ背を屈め顔を覗き込んできたキャロルのくちびるが、にい、と笑みを広げる。ともすれば格好の獲物でも捉えたような視線を向けられてしまえばもう、逸らすなんてことができるはずもなくて。
「写真のわたししかあいしてくれないのかしら、テレーズ?」
とっくに知っているくせに。どんなにわたしの技術が上がったとしても彼女の魅力を写しこむなんて到底できないことを。切り取った彼女ではなく、いま目の前でわたしの言葉を待っているその人しか見えていないということを。
ふくらんだ頬をそのままに睨み据えてみても、その眸に甘さしか含めないことは自分でもわかっている。だって彼女の笑顔はますます深まっていくばかりだから。
どうしたの、とばかり、わざとらしく首を傾げたキャロルの両頬に手を添えて。息が震える、彼女が期待をこめたまたたきを一つ。
「─…一回しか言わないから、目を閉じてしっかり聞いてくださいね」
いつになく素直にまぶたを下ろしてくれた彼女に、ささやきをとかしたくちびるを近付けた。
(あなたのすべてをあいしてるに決まってるじゃないですか)
(ねえテレーズ、もう一回)
(一回だけの約束です)
写真にくちづけるTが書きたかっただけ。
2016.6.14