夏の訪れは唐突に。

 ひんやりとした感触が心地いい。 「ここが天国ね…」  ようやく安住の地を見つけたわたしのくちびるが自然、洩らした言葉がそれだった。  行儀悪くもソファに頭から足までぺたりとくっつけ、頬を寄せる。陽のぬくもりを受けていないソファは、火照った肌を癒してくれた。  特別暑さに弱いわけではない。だけど夏も本番を迎え始めた夕方、まだ日光の差す中で一時間も立っているのはさすがに自殺行為だった。帰宅時間を合わせるために待っていた、だなんて。冷静になって思い返したその理由もなんだか子供じみている。 「大袈裟よ、テレーズ」  そ、と。笑みを含んだ声が落ちてくる。  せっかく涼を手に入れた頬を動かしたくなくて視線だけを向ければ、やんわりと口元を綻ばせたキャロルが目の前で屈んだところだった。ソファに預けた両腕に頭を乗せ、ころり、わたしと同じ方向に傾ける。  あなただっていつだかベッドで同じ言葉をこぼしていたじゃないですか。そう返そうとした言葉は途端にどこかへ転がり落ちていった。こんなにも間近で微笑まれては、文句なんて言えるはずもない。  ともすれば惹き込まれてしまいそうになる衝動を堪え、もぞもぞと向きを変える。  視界に広がるソファの背に鼓動が落ち着きを取り戻したのも束の間、またあの微笑みが覗き込んできて。 「あら、拗ねちゃったの?」  今度こそ、止まってしまうかと思った。  同じ家に住むようになってもう季節が移り変わるほど時が経ったというのに、この距離にはまだ、慣れなくて。  まるでうぶな少女みたいに視線も合わせられずただ、無防備にさらされた彼女の首元ばかり見つめる。ひたり、と。真っ白な首を一筋の汗が駆け下りていく。 「…暑さも平気なんですか、キャロルは」 「もちろん暑いものは暑いけれど、そうね、あなたほどではないかも」  そうして頬にやさしく触れてきた指先は、自分と同じ空間にいるのかと疑うほど熱が低かった。  ふ、と。脳裏に浮かぶのはあの冬の日。かじかんでしまうくらいの寒さだというのに窓を開け放したキャロルが、鼻歌交じりに運転している光景。その横顔にあんまりにも視線を奪われていたせいか、身も震える寒ささえ感じなかったことを覚えている。  いまだってそう。あれだけ体温を上げていた熱は消え、代わりに頬を染め上げるのは別の熱量。ばくばくと跳ね続ける心臓が鼓膜を占領する。  どうかこの熱の変化に気付いてしまいませんように。祈りに任せて、眸を閉ざす。 「テレーズ、ちょっと、もしかして体調悪くなったの?」  異常な心拍数を記録しているから悪いといえば悪いけど、彼女の意味しているものとは違う。大丈夫なんでもないのだと、伝えようとまぶたを開いて、刹那、海面よりもまだ深い色と出逢った。  重ねられた額に血液が集中していくみたいな錯覚。汗がどっと噴き出して、目の前がちかちかとまたたき始める。 「ねえあなた、すごくあついわ、ここ」  彼女の声が、音が、耳に滑り込んで反響する。そのくらい自分が一番わかってる、抑えきれないほどの熱が向かう先さえも。  心配をありありと乗せて下がる口の端に震える指先を伸ばす。やわらかいそこを辿り、あごをなぞって、さっきまで見つめていた首筋へ。  ぐいと引き寄せ、玉になっていた雫を舐め取った。 「…っ、テレー、ズ、」 「─…わたしほどは暑くない、って、言ってましたよね、さっき」  舌を鈍く刺激するそれをもう一度味わいたくて、ぺろり、まっさらな首がごくりと鳴らされる。声さえ失った年上の彼女をようやく真正面から見据えれば、海にも似た色の眸が期待に染まった気がした。  頬を浮かせる、あれほど求めていたソファの冷たささえいまは欲しくない。わたしが求めているのはいつだってたったひとりだから。 「──ならもっと、あつくなっても大丈夫ですよね」  つと、毛先から汗が滑り落ちた。 (あなたとならいくらだって、)
 夏をエンジョイするCとTが見たいです。  2016.6.24