ありったけの愛を、あなたに。

 切り出し方はなるべくスマートに、さりげなく、颯爽と。  イメージは銀幕のスターたち。彼または彼女たちはいつだって、わたしがこれから直面しようという場面を格好よく、そして恥ずかしげもなくこなしてしまう。もちろん芝居であることは百も承知だけれどそれでもいまばかりはお手本でも立てないと、最初の一言どころか顔さえまともに見られないかもしれないのだから。  わたしはスター、そうよ、たとえばテレーズがいまわたしに似ているのだと熱を上げている女優になりきってみればいいじゃない。彼女であればこれくらい、なんともない風で渡せてしまうだろうから。  思い切って、けれど傍目からはそう見えてしまわないよう努めて自然に視線を持ち上げる。  ばちり、テーブルを挟んで目の前にある新緑の眸と出逢ってしまった。いいえもちろん目当てはその持ち主ではあったのだけれど。けれども。こうもはじめから目が合うとは想定していなくて思わずそっぽを向いてしまう。なにをしているの、わたし、明らかに不自然じゃない。戒めるもののもう視線を戻すこともできなくてただ、手の内にあるそれを握りしめた。  リボンでかわいらしく封がされた箱の中身は、テレーズの頼りないほど細い指にきっとぴったりとはまるはずだ。だって彼女の指にはこれまで何度だって触れてきた、サイズを間違うはずがない。  シンプルなシルバーリングの内側に『Flung out of space, my angle.』と刻印して。わたしとテレーズにだけ通じる、秘密の言葉。彼女を表すに相応しい表現を、わたしのためだけに舞い降りてきてくれた、天使へ。  だって今日は、わたしと天使が出逢った特別な日だから。  てっきりテレーズの方から切り出してくれると思っていた。彼女は記念日を大切にしてくれているから、今日だって目を覚まして真っ先になにかしら行動を起こしてくれるかと期待していたのに。それに乗じて、一ヶ月も悩みに悩んだこの指輪をプレゼントしようと計画していたのに。結局夕食を終えてもその話は出ないまま、なんだかまともに目も合わすこともなく一日が終わろうとしていた。  あるいは今日という日は、テレーズにとっては特別でもなんでもない日だったのかもしれない。わたしだけが彼女に魅せられていただけなのかもしれない。  それでも、わたしは伝えなければならない。あの日、あの瞬間、どこまでも澄んだ新緑の眸に惹き込まれたわたしの、想いを、心を。 「あ、「あのっ、」  被さってきた声は当然目の前から。勢い余って立ち上がったテレーズは、わたしも同様に音を発したことに気付き、ばつが悪そうに口を引き結ぶ。お先にどうぞと譲られ、息を一つ、柄にもなく震えてしまっている手を、テーブルの下で抑えた。 「─…左手を。見せてもらっても、いいかしら」  ようやく口から顔を覗かせた声にさえも震えが伝播していたけれど、今更呑み込めるはずもなく。とても格好悪いけれど、これが包み隠すことのわたしだから。  不思議そうに差し出された左手をやさしく取る。ほんのりとあたたかいそれを口元に運び、薬指の根元に、そ、と。指から動揺が伝わってくる。いまは持ち主の表情を見ている余裕はない。  そうして一旦膝に置いていた箱を、乗せた、恐る恐る、どうか拒絶されることがありませんようにと、かすかな祈りもこめて。 「──出逢ってくれて、ありがとう、テレーズ」  ともすれば次から次へとこぼれていきそうになる言葉を押し込み、精一杯の気持ちを、愛を、名前にこめた。  反応は返ってこない。  もしや気を急いてしまったかと恐々視線を持ち上げてみれば、あの見慣れた色が涙をいっぱいに溜めてそこにあった。呆けるわたしを映した途端、ぽろぽろぽろぽろ、止めどなくあふれていく。ごめんなさいと、拭おうともせず、声を震わせて。 「てっきり、わたしだけだと、思った、から、」 「…そんなわけ、ないじゃない」  同じ不安を抱いていたのだ、きっと、わたしたちは。そうして同じように大切にしていたのだ、今日という日を、出逢ってくれた相手を。  伸びてきたもう片方の手が、わたしの手ごと箱を包み込む。リボンをやさしく撫でて、わたしの甲に触れて、指を絡めて。  この人でよかったと。あの日、あの時、わたしをとかしこんでくれた新緑の持ち主がテレーズでよかったと、心の底から思う。テレーズでなければわたしはこんなにも、想いを募らせることはなかった。狂おしいほどの愛を知ることだってきっと、なかったかもしれない。  あるいはあなたもそう感じてくれているかしらと、問いかけるのは野暮な気がした。テーブルに幾粒も落ちていく雫が、なによりも確実な想いだろうから。 「ねえ、キャロル」 「なあに、テレーズ」 「…あいして、ます」  普段、恥ずかしいからか滅多に甘い言葉を囁いてくれないテレーズからの直球すぎる言葉に目を丸くしているところへ、ふと、覚えた違和感をそのままに視線を下げる。見れば解放されたわたしの左手には、いましがた手離した箱の代わりに銀にきらめく指輪が一つ、それも薬指に。  薬指を穴が開くほど見つめ、それからようやくテレーズに視線を送れば、首筋まで真っ赤に染めて、けれど眸だけはしっかりと向けてくれていた。  恐れる必要なんてなかった、だってわたしたちはこんなにも一緒だったのだから、 「─…わたしも。あいしているわ、テレーズ」  にじんでいく視界にそれでも映る最愛の人に思いきり抱き付く。きちんと受け止めてくれた体温が、背中から全身へと広がって、なによりの愛を伝えてきてくれる。  やわらかく綻んだくちびるが重なる寸前、わたしだけの天使は呟いた、あいしていますと、もう一度。 (だってわたしたちはこんなにも、想いを重ねていたから)
 CAROL日本公開1周年おめでとうございます。  2017.2.11