たまにはあなたに白旗を、
(中の人のお話)
「…ねえ、ケイト」
「ん、なあに、ダーリン」
「その呼び方はやめてください」
じとりと軽く睨んでみせても、当の彼女はからからと笑うばかり、まるで気にした様子もない。
ダーリン、なんて呼び名は、わたしと彼女がはじめて共演した映画での愛称そのまま。同じ声音で紡がれるそれにふと、褪せることのない当時が湧き上がってくる。
わたしと同様、彼女も忘れてはいないのだと、大切にしてくれているのだと。そう思えば嬉しくないはずはないのだけれど、なんだか子供扱いされているみたいで好きではなかった。演じたテレーズの年齢はともかく、わたしは今年で32になるのだ、もうよしよしと撫でられる年頃でもない。
だというのに目の前のその人はわたしの頭にその大きな手を添え、わかったわかったと、ちっともわかっていない風に見つめてくる。わたしが彼女より少しばかり小さいのをいいことに、出会えば事あるごとにこうして撫でてくる。その感触が心地良くて拒絶できないわたしもわたしだけれど。
そうじゃなくて、と。手を振り払い、本題へ。頭から離れていった手は流れるように組まれていく、それと同時にやわらかな谷間が作られて、
「その服。着替えたらどうですか」
「あら、好みじゃない?」
「好みかどうかの話じゃないです」
どうやら撮影現場からそのまま待ち合わせのカフェへ足を運んでくれたらしい彼女は、タイトなスキニーにレザージャケットという出で立ちだった。挙げてみれば普通の格好だけれど、問題は上半身。ジャケットのファスナーを半分まで上げたその下に見えるのは地肌だった。この寒い中、インナーを身に着けていないのだ。あるのはなぜか結ばれた濃紺のネクタイのみ。
こんな軽装備で果たして寒さに耐えられるのか、なんて心配ももちろんだけれど。それよりもなによりも、目のやり場に困る、とても困る。だって角度によってはやわらかな胸が見えてしまいそうなんだもの。彼女だってそれはわかっているはずなのに、わざと胸を寄せてみせる。きっとわたしの反応を面白がっているのだろう。なんて悪戯な人なの、知ってはいたけど。
ちらちらと見え隠れする肌は、もう三年も前になってしまったあの日々を思い起こさせる。熱を持った肌と、薄い胸越しに伝わる鼓動と、それから淡く光る深緑の眸と、
「ねえ、ルーニー」
音が、わたしを捕らえる。身を乗り出した彼女があごを持ち上げればすぐ、あの日と同じ深緑に映し込まれた。
「──また、触れたくなったのかしら」
上がった語尾は確実に、わたしの思考を読んでいるようで。
かあ、と頬に熱が走る。対する彼女は眸を細め、ゆるゆると口角を上げる、返事は知っているわと言わんばかりに。この後また現場に帰っていってしまうくせに、なんてずるい人。
答えを求めるみたいに首を傾げたその人のネクタイを掴み、少し力を込めて引っ張れば、予測していなかったのか簡単に距離が縮まっていく。無防備なそのくちびるを捉え、口づけを一つ、わざと音を立てて。
すとん、と。ネクタイを手離せば、力が抜けた風の彼女は元いた椅子へと戻っていく。くちびるを人差し指でなぞり、思い出したように顔中を染めて。
久しぶりにしてやったわと自然、浮かんだ笑みを向けたままわたしは逆に立ち上がり、彼女の頭を撫でる、さっきそうされたように。
「──今夜。空けておいてくださいね」
(今日はわたしの勝ちでいいですよね)
たまには一枚上手なR。
2017.2.27