知ってるわ、だってわたしはわたしでしかないもの。

「むり、もう、むりなの…っ」 「大丈夫ですよ、キャロル、大丈夫だから」  ああ、なんだか立場が逆転してしまっている気がする。泣き出す手前みたいな声を上げるのはこの子で、口づけで宥めるのはわたしの役目であるはずなのに、一体いつから、なんて。記憶を辿る先から邪魔されていく、ちゅ、ちゅ、と。かわいらしい音はどんどんと位置を下げていって。  なにが大丈夫だというのだろう、なんにも大丈夫なんかじゃないのに。彼女のやわらかなくちびるが否応なしに熱を引き上げていって、下半身はぐずぐずにとかされて、もう目の前のただひとりのことしか考えられなくなって。なんにも大丈夫なんかじゃない、なんにも。だってこんなの、わたしじゃないもの。口づけを落とされるたび、耳元で名前を囁かれるたび、わたしではない誰かが顔を出すんだもの。 「キャロル、」  ほら、また。普段のわたしがどこかへ隠れて、知らないわたしが覗いてくる気配。見られたくなくて更に、顔を覆っている手に力をこめる。こんな表情を見られてしまってはきっと、失望されてしまう。こんな姿、テレーズにだって見られたくない、のに。  彼女が腕を撫でる、肘の方から手首にかけて、指先でなぞって。ぴりぴりと、走った刺激に固くまぶたを閉ざす。 「顔。見たいの」  そうしてわたしの指先に行き着き、やさしく触れる。甘えた声なんて出して、わたしの拘束を解こうとして。だって彼女は知っているから、わたしが彼女に敵わないことを。  恐る恐る、腕をほどいていく。差し込んだナイトランプの光に一瞬、目を眇め、そうして慣れたころには、ほら、やっぱり。間近からわたしを覗き込む浅葱色の眸に出逢ってしまった。背中が痺れていく、自分がいま浮かべているであろうはしたない表情さえ忘れ見惚れてしまう。 「…なに見てるの」 「あなたを見ています」  淀みない返事に羞恥が増していく。わかってはいるけれど、いざ言葉にされるとやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。表情もそうだけれど、わたしは彼女みたいにもう若さを取り柄にはできないから。服も化粧もなにもかもを纏っていないいまはただ、どうか目を逸らしてと、願うばかりで。  だというのにこの子は、じ、と。きれいです、なんて、まっすぐな眸に、まっさらなわたしをとかしこんで。 「─…困った子」  それ以上見つめていられなくて、ふ、と顔を背けた。途端、かかった息に笑みの気配が混ざる。笑われなくったって、自分自身が一番自覚していた。  思った通り、乱れた髪をかき分け、耳たぶにかぷりと噛み付かれる。やわらかなくちびるが、先ほどまでの情事を思い出させて。 「あついですね、ここ」 「いちいち言わなくていいの」  仕返しに、彼女の耳たぶに噛み付き返す。わたしに負けず劣らず熱を持ったテレーズはけれど、夜を予感させる微笑みを向けて。眸に囚われたわたしはまた、わたしではない誰かの表情を浮かべていた。 (あなたといると、知らないわたしにどんどん出逢ってしまうの)
 明かりは消す派のCとつける派のT。  2017.5.8