それを都合よくも愛だと言い聞かせた。

 ふわり、軽い音を立ててはためいたそれに見惚れずしてなにに目を奪われるというのだろう。 「─…my angel」  いままで幾度となく向けてきた喩えが、まさか現実になってしまうだなんて。  化粧を施していない起き抜けの目元を擦って、またたきを一つ、けれど紙をそのまま切り取ったような純白が消えることはなくて。すやすやと規則的な寝息を洩らすテレーズの背からはいまだ、翼が生えたまま。  いいえ、翼と形容するには小さすぎるそれは、羽と呼ぶ方が相応しいのかもしれない。成長過程の未熟なものにも見えるそれは、目の前でまだ夢の世界をはばたいている彼女の背中に違和感なく存在していた。  またたきをもう一度。  たとえば彼女が本当に天使であったという説。空からうっかり落ちてきてしまった天使はいままで羽を隠して生活していたけれど、意識のない時にひょっこり現れてしまっただとか。馬鹿げた想像に首を振る、きっと寝ぼけているのだ。  あるいはこれはすべてわたしの夢であるという説。顔を洗うか頬をつねればすぐ目が覚めて、羽を持たない彼女にねぼすけですねなんて笑われて――こっちの方がしっくりくる。  ものは試しだと片手を持ち上げて、ふと、自身の頬へと向かわせていたそれを方向転換して、目の前の天使に伸ばす。開け放したままの窓から流れ込んだ風にあおられ揺れた羽に一瞬押し留め、それから付け根にそ、と。滑らかな素肌に、羽はしっかりと根差していた。逆立ててしまわないよう流れに沿って辿っていけば、やわらかな感触がその小さな存在を主張していた。  たとえば─きっと夢である存在のもしもを考えても仕方のないことだけれど─この羽が、空を飛べるほど大きな翼へと成長した時。天使はきっと、大空へと帰ってしまうのだろう。  いまはわたしの腕の中に収まってしまっているけれど、そのうち広い世界に憧れるに決まっているから、そうでなくてはならないから。わたしに縛られて生きるより、自身の翼ではばたいた方が彼女のためなのだから。  羽と背中の境目にくちびるを落とす。いまだけは、そんなもしもから目を逸らしていたくて。 「それでもあなたは──」  *** 「──ロル…、…キャロル、起きて、…起きてください!」  突然揺らめいた視界に一度まぶたを閉じて。そうしてもう一度開いた時には、鮮やかな白はどこにも見えなくなっていた。  目覚めの声を追いかけて視線を上げれば、わたしを見とめたテレーズがつと眸を細める。昨晩までは隣で眠っていたはずなのに一体いつの間に身支度を整えていたのだろう、すぐにでも出掛けられる恰好で見下ろしてきていた。 「ねぼすけですね」  口にされたのはどこかで思い描いた言葉。さてどこだっただろうかと記憶を辿るよりも先に毛布を剥がされ、思考が外気にさらわれた。 「ちょっと。寒いじゃないの」 「なに言ってるんですか、今日はあったかいですよ」  すぐさま毛布をたぐり寄せ身体に巻き付けたわたしから離れた彼女が窓を開け放す、途端、流れ込んだ風が朝を伝えてきた。いくら春めいてきたとはいえ、身に付けているものが薄手のガウン一枚なのだから耐えられるはずもないのに。  振り向いたテレーズに文句の一つでも言ってやろうと顔を上げた、瞬間、差し込んだ陽光に目をすがめる。随分と狭めた視界の中で、光をまとった天使は無邪気に笑った、 「外へ行きましょう!」  大きな輝く翼をはためかせているみたいに、見えた。 (それでも心優しいあなたは、わたしの元に降り立ってくれるのでしょうね)
 そうしていつかは訪れる"いずれ"から今日も目を逸らす。  2016.3.6