わたしを奪うのはいつだってあなたでした。
(中の人のお話)
かつりと。ヒールが床を打つ軽快な音も、風を切る透き通った髪も、前髪をかき上げる仕草も、わたしを映す深緑の眸も、
「──久しぶりね、ルーニー」
名前を紡ぐ声、だって。なに一つ、あの頃のまま。
「お久しぶりです、ケイト」
幾度となく口で転がした彼女の名前を、本人の前で音にするのはいつ以来だろう。たったそれだけで、あの日々を思い出した心が忙しなく揺れ出す。彼女と撮影を共にした、あの冬。幼い頃からの憧憬が確かな恋心に変わった、あの瞬間。ともすれば彼女もわたしに、わたしが演じた少女に想いを寄せてくれているんじゃないか、だなんて。
気を抜けばすぐ過去へ帰ろうとする意識を掴み、自然浮かんだ微笑みを返す。彼女といると普段は上らない笑みが簡単に顔を覗かせるから不思議。
かつり。もう一度靴音を響かせた彼女がそ、と手を伸ばした先は、短くなったわたしの襟足。
「随分と短くしたのね」
「あなたこそ」
「あら、似合わないかしら」
「いいえそんなこと!」
つい声が大きくなる、だって彼女に似合わない髪形なんてあるはずもないから。
返答を予想していたのか、踵まで上げて反論したわたしの前髪をなぞりながらくすくす笑いをこぼしている。あなたはいつでも正直ね、なんて洩らしながら。相手があなただからです、とは、言えないけれど。
彼女はなんだって似合ってしまう。ふうわりと風に浮かせた髪も、漆黒で固めた衣装も、まるで彼女のためだけに存在しているみたいに錯覚してしまって。
ついつい見惚れていたせいで、寄せられたくちびるに気付かなかった。
耳元にまで距離を詰めてきた薄桃のくちびるがふと、息を吐き出す。耳の縁をくすぐるそれにびりびりと、背中をなにかが走り抜けた。
「あなたも、」
音、が、わたしを絡め取る、
「似合っているわよ、とても」
ちゅ、と。戯れに触れられたそこが熱を持つ、
「──あの頃のあなたも、好きだけれど」
覚えていたのは、思い出していたのは、わたしだけではなくて。
ぶわりと、甦るのはあの夜の体温と、やわらかな肌と色を増した眸と滑り込んでくる舌と素肌をくすぐる毛先と鼻孔を掠める匂いと耳を揺さぶる声。五感すべてが、支配されていく。
触れ合ったのはきっと一瞬のこと。
また元の距離を取った彼女はそうして頬をやわらかく綻ばせる。
「だめよルーニー、そんな顔、誰かに見せちゃ」
「そんな顔って、」
「こんな顔」
両頬を包み込んだのはもはや懐かしいその体温。くちびるをなにかが掠め取っていって、それがなにか判断するよりも先にするりと手が絡められていく。
「ほら、早く行かないと開始に遅れるわよ」
「…っ、ケイト、」
振り返り、悪戯に口角を上げたそのくちびるに、わたしの紅がほんのりと移っていた。
頬に熱が上ってくる。首さえ赤々と染まってしまっていることくらい、確かめなくたってわかっている。
非難の声を上げてみたって、くすくすと先を行く彼女は楽しそうにわたしの手を引くばかり。
「もうっ、ケイトのばか」
「あら、今更知ったの?」
いつか彼女も同じ色に染めてみせる、と。まろびそうになりながら誓ったのはそんなこと。
(指先を包む熱に鼓動を跳ねさせているうちはまだ、無理なんだろうけれど)
いつだって翻弄されるR。
2017.10.2