そうしてできればあなたの隣に。

(中の人のお話) 「──それで、今回はいつまで滞在されるんですか」  わたしの素朴な疑問に、ワインをぐいと飲み干したその人はあごを触り思案のポーズ。 「そうね、一週間程度かしら」 「案外長いんですね」 「小旅行も兼ねてるもの。仕事も終わったし、明日から観光でもする予定よ」  息子も付いてきてくれたことだし、と彼女は笑う。件の彼は、いまはホテルのベッドでぐっすりだという。寝かしつけてから、わざわざ会いに来てくれたのだ。  たとえば家族のこと、とりわけ子供たちの話題を持ち出した時はいまみたいに決まって、やわらかく微笑む。そのたびにわたしは、やっぱりケイト・ブランシェットという人は女優である前に母親なのだと、思い出したように納得するのだ。  彼女につられ、頬に笑みが上ってくる。 「いいですね、旅行」  わたしの母親もこんな風だっただろうかと、思うのはそんなこと。  彼女の子供たちと同じく、わたしも四人兄弟の中で育ったけれど。ひとりひとり丁寧に接してもらえたかと問われれば、うまく思い出せない。母とふたりきりで旅行になんて出かけたことがあっただろうか、なんて。三十歳をとうに越えたくせに、なにを言っているのか。  出来ればもう少し、彼女との時間を過ごしたいのだけれど、子供と一緒なら無理も言えない。忙しい彼女のことだから、たまの休日くらい大切な家族と一緒に過ごしたいだろう。わたしはどう足掻いたって、彼女の家族でも恋人でも、何者でもないから。  気落ちした思考に浸っていたせいだろうか、間近から見上げるように覗き込んできていた彼女に気付かなかった。 「パトリシア、」  澄んだ眸と、突然のファーストネームに一瞬、息が詰まる。吐き出し損ねた酸素を飲み込んで、一度またたいて。 「なん、ですか、」  整えたはずなのに、それでも言葉が突っかかってしまった。  わたしを映す深緑の眸はどこまでも深い。わたしより幾らも年上のはずの彼女が時折、あどけなささえ残した表情を向けてくるから不思議。 「ねえルーニー」  戻ってしまった呼称に知らず肩を落としたのは一瞬のこと。 「一緒に観光しましょうよ」 「…え、」 「もちろん、あなたの都合がつけば、だけれど」  テーブル上のランプが彼女の眸を照らす。それは社交辞令でも気遣いでもなんでもなくただ純粋に、そう思ってくれているように聞こえて。 「もっとあなたといたいの、私」  わたしもです、と、言葉がするんと、くちびるから落ちていく。わたしもです、もっと、もっとあなたといたい、あなたと時間をともにしたいんです、なんて。  わたしの一言ひとことに、彼女のくちびるがするするとほどけていく、わかっていたわ、そうとでも発するみたいに。そうして伸びてきた指が、テーブルクロスを握りしめていたわたしの甲をやさしくなぞる。 「じゃあ、また明日、ね」  当たり前のように交わす未来の約束が嬉しくて自然、頬が綻んでいく。明日もまた、彼女に会えるのだと。顔を見て、眸に映って、同じ景色を見て。たった、それだけなのに。 「─…はい、また、明日」  きっと今夜よりももっと、いい日になるのだと。 (じゃあ一緒の部屋に泊まりましょ) (えっ、あの、そんな急に、) (いや?) (………いや、じゃ、ない、ですけど)
 どこでだって仲良しだといい。  2017.10.4