どうか、あなたへ。
ひとつ、ひとつ、記憶を手繰るように。
まずは頬に手を添える。ふ、と。彼女の息がこぼれる、それに少しでも熱がこもっていますようにと知らず、願っている自分がいて。
鳥のついばみに似たくちづけを数度。彼女がくちびるに歯を当てる感触。
やわらかな耳にたどり着いた指先が、かたちのよいそれの縁をぐるり、なぞる。ふふ、と。くすぐったそうな吐息はすぐ目の前から。
「なあに、焦らすつもり?」
「いいえ、大切にしたいだけです」
「嬉しいお言葉だけれど、せっかちなわたしには逆効果よ」
そんな言葉を返しながらだけど、わたしの些細な動きひとつにも律儀に反応を示してくれることを知っている、だってキャロルはやさしいから。久しぶりに肌を重ねることへの緊張をきっと、汲み取ってくれているから。
長期出張から帰宅したばかりだった。取材に集中しなければと考えないようにしていたのに結局、気付けば家にひとり残してきた彼女のことばかりが頭を占めてしまっていて。
だから帰ってきてすぐ、出迎えてくれた同居人を抱きしめた。懐かしい香りに包まれてようやく、やっぱりわたしのいるべき場所はここなのだと、しあわせにあふれた実感を噛みしめたのが数時間前。
なめらかな肌をすべり、首筋をなぞる。きれいに張り出した鎖骨にくちづけをひとつ。
恐れも、あった。このまま離れているとそのうち忘れてしまうのではないかと。キャロルの肌を、熱を、想いを、なにもかもを。そうしてキャロルもわたしのことなんて考えなくなってしまうのではないかと。
なのにいざ触れてみればこの指が、眸が、彼女のなにもかもを覚えていて。たとえば耳をなぞると少しばかり身をかためることも、くちびるを食む癖があることも、子供みたいに眸を閉ざしてしまうことも、そうして、
「──テレーズ、」
吐息の隙間でしぼり出すように名前を紡ぐ、その音も、ぜんぶぜんぶ。
色を含んだそれにどうかわたしへの想いが欠片でも入っていますようにと。なんだか今夜のわたしは願ってばかりだ。
離れている間に積み重ねた不安を打ち消したくて、負けじとわたしも名前を繰り返す。キャロル、と。ひとつ取り出すたび、触れ合った身体から伝わる熱が上がる気がして。どうか気のせいでありませんように。どうかどうか、いとおしさのこもったそれでありますように。
懲りずにどうかを繰り返すわたしはそうしてくちづける、もう何度触れたかもわからないやわらかなくちびるに。
彼女の歯がやわらかく、わたしのくちびるを奪っていった。
(とどきますようにと、わたしはいつだって願っている)
不安になるときだってある。
2018.2.18