はやく巣立ってほしいものね、ふたりとも。
ハイスクールでの三者面談を思い出していた。
「ちょっとアビー、ほら」
ちょこんと申し訳なく正座をしていたキャロルが小声で促してくる。
ほら、じゃないわよ。なにが、ほら、よ。こちとら赤毛の女の子をランチにでも誘おうかとおめかしまでして出掛ける準備をしていたのに、唐突にかかってきたテレーズの電話で予定のなにもかもを捨てて駆けつけてきたのだ。
電話口のテレーズはなんとも固い口調だった。元々わたしに対して―キャロルと大昔に付き合っていたという事実が大いに関係しているのだろうけど―あまり懐こうとしない彼女だけど、それでも最近は少しずつでも距離が縮まっていると思っていたのに。そんな親しみも一切ないままただ、いますぐこっちに来てくださいの一言。なぜなんて問いも許されない雰囲気に、はい、となぜか敬語で返してしまっていた。
そうして車を飛ばしふたりの住むアパートへ踏み入ってみれば、表情をきれいさっぱり落としたテレーズと、そんな彼女の目の前で正座したキャロルがうなだれていたというわけで。
無言で示されるまま、ふたりの対角線上に腰を下ろす。息苦しいこの空気、親と教師に挟まれた三者面談以来よ。
テレーズは依然鋭い視線でキャロルを見つめ、キャロルはといえばわたしに助けを求める始末。
「で、なにがあったっていうのよ、テレーズ」
いつまで経っても話が見えてこないのでとりあえず問いかけてみる。
するとその射抜くような眸をぎ、とこちらに向けたテレーズは、アビー、と。こんなに低い声だったかしら、この子。
「アビーは、まだ、関係を持ってるんですか」
「関係、…って?」
「ね、ねえ、だからそれは、」
「キャロルは黙っててください」
ぴしゃりと叱責された親友は再びしゅんと肩を落とす。そんなキャロルは放っておくとして、先ほどのテレーズの言葉をぐるぐると回していた。
かんけい、関係、って。絶対的に主語が抜けている。まず誰と。この場合、キャロルという選択肢しかないわけだけど。関係という言葉が指す意味は。
テレーズの刺々しい態度と言葉を合わせて、ようやく合点がいく。途端、無性に笑いがこみ上げてきた。
「もしかして、キャロルとこっそり付き合ってるんじゃないか、って聞きたいの?」
ビンゴ。テレーズの身体がびくりと大仰に震える。
ああおかしい。そりゃあうんと昔に付き合っていたのは事実だし、別れた後も友人以上の想いを抱いていたのはたしかだけど。でもいまは本気で、キャロルとテレーズ、ふたりのしあわせを願っていた。キャロルがわたしといた頃よりも自分らしく生きていられるのは間違いなくテレーズがそばにいるからであるし、わたしでは与えてあげることのできなかったものだから。
それにいまわたしは、別の子に熱を上げている、自分でも恥ずかしいほどに。
テレーズもきっとわかっているだろうことを伝えてみれば、じゃあなんで、と。まっすぐ見つめてきていた眸が急に潤みはじめてしまった。
「じゃあなんで、アビーの名前を…っ」
「は? わたしの名前?」
「だからねテレーズ、それは、」
「説明しなさい、キャロル」
今度はひたりと親友に視線を据える。まずはテレーズに、それからわたしへと情けない眸を向けたキャロルは、どの方向からも助けがないことを理解したのかはあ、と大きなため息をひとつ。
そうしてぽつぽつ事の次第を洩らしはじめた彼女曰く、もうお昼だとテレーズに揺り起こされたのだと。曰く、いつものようにくちづけたのだと。曰く、自分は覚えていないがそこで朝の挨拶とともにわたしの名前を呼んだのだと。つまりはそういうことらしかった。
どうにもテレーズは、キスのあとにわたしの名を呟いたことにご立腹らしい。それで、もしやいまも関係を持っているのではないか、と。
「お断りよ、こんな人」
「え、」
「だって考えてもみなさい、テレーズ。こんな面倒くさくて強引で自分勝手な女、誰が手に負えると思ってるの。あなたくらいよ、ちゃんと引っ張っていけるの」
「ねえそれちょっと言い過ぎじゃないのアビー」
「キャロルは黙ってなさい」
「…ぷっ、ふふ、」
横やりを入れてくるキャロルを適当にいなしていれば唐突に、テレーズの軽やかな笑い声が割って入ってきた。
つられて視線を向けてみれば、おなかを抱えたテレーズがもう我慢ならないといった様子で笑いだした。突然のことにどうしたのと尋ねることもできず見つめていれば、目尻に浮かんだ涙をぬぐった彼女が、すみません、と。先ほどまでの剣呑な雰囲気はどこへやら、いつもの彼女に戻っていて。
「アビーの言葉を聞いてたら、こんなことで怒ってた自分がばからしく思えちゃって」
ふふ、と笑みをまたひとつ。ふたりって素敵な関係ですよね、だなんて。
とりあえず誤解はとけたようだと、内心息をつく。見れば同じく安堵した様子のキャロルがようやく少しの笑みを取り戻していた。
「ごめんなさいね、テレーズ。わたしが寝ぼけていたばかりに」
「もういいですよ、わたしこそ、ごめんなさい。でも一週間はキスなしです」
「まって、ねえ、考え直して」
ここから先は犬も食わないなんとやら、だ。解決したようだし、邪魔者はさっさと退散することにしよう。
頭を下げるテレーズとごめんなさいねと表情で伝えてくるキャロルに見送られアパートを後にすれば、思っていたよりも冷えた風が吹き抜け思わず、コートの襟を立てる。随分あたたかくなってきたはずなのに、やっぱり一人身には堪える。
結局ランチを食べ損ねてしまったけど、それくらいで親友ふたりの仲を取り持てたのなら、よしとしよう。
「アビー!」
声につられてふと、振り向きざまに顔を上げてみれば、上階から手を振るふたりの姿。右手で応えてみせて。
ランチがだめなら、ティータイムにでも誘いをかけてみよう。浮かんだ提案を胸に、車へと急いだ。
(まったく、いつまで経っても手のかかる親友たちだこと)
Aはいつだって苦労人。
2018.2.28