それでもいつかの別離からは目を反らすことができなくて、

 ぎゅ、と。心までつかまれた気が、した。 「どうしたの、テレーズ」  声のトーンは低めに、できるだけなんてことない風に。  気付かれないようひっそり息を整え振り返れば、細い指がわたしの袖を子供みたいににぎっていた。夜に慣れていない目は、まっしろな腕のその先を捉えることができない。いつになく強く引き留める彼女が果たしてどんな表情を浮かべているのか、どんな眸にわたしを映しているのか、なにも。 「だめですよ」  ひたり、音が落ちる。きっとわたしの動揺も押し隠した心もなにもかもを見透かした彼女が手を引くままベッドへ逆戻り、腕の中にすっぽり閉じこめられてしまう。  自然、密着した身体からは彼女の体温と、鼓動と、息遣いと。 「なあに、今夜はあまえんぼうね。ちょっとのどが乾いただけでべつに、」 「キャロル」  わたしの名前を紡ぐ音が、響いて。たったそれだけで、取り出そうとした言い訳がどこかへ消えていく。まるで叱られた子供のようだと、冷静なわたしがため息をつくも、その通りなのだから仕方がない。 「また。自分を責める気ですか」  ほら、彼女はぜんぶぜんぶ、知ってしまっている。  テレーズと同じ部屋に住みはじめて、もう一ヶ月が経とうとしていた。  一ヶ月。彼女とふたり分の家具を選んで、ふたり分の食器を揃えて、一緒に料理をして、誰よりも近い距離でおはようとおやすみを交わして。それはとてもしあわせな時間だった、以前の感情を抑えていた時期とは比べものにならないほどに。  けれど肌を重ねた夜はいつも考える、彼女をわたしの元に留めていていいものかと。若い彼女の未来を束縛というかたちで閉ざしてしまっていいわけがないと。罪悪感と呼ぶには身勝手すぎる感情に苛まれ毎夜そっとベッドを抜け出していたのだけれど、どうやら気付かれてしまっていたらしい。  またたきをひとつ、ようやく闇に順応してきた眸を持ち上げれば、同じくこちらを見つめていた新緑色と鉢合わせた。どこまでも澄んだその眸が本当はわたしだけに向けられていいわけはないのに、それでもまぶしい色がわたしを責めることはなくてただ、あたたかな色にとかしこむ。 「選んだのはわたしです」  たった一言で、わたしをすくってしまう。 「あなたの傍にいることを選びました。そしてあなたも、わたしを選んでくれました」  その想いにうそも後悔もないです、と。まっすぐな言葉がひたりひたりと染みこんで、一瞬だけでも和らいだ気がして。  きっとこれから何度でも同じ後悔を繰り返してしまうのだろうけれど。けれどそのたびに彼女がこうして抱きしめてくれるのだと、なによりもたしかに伝えてきていて。 「ねえ、キャロル」 「…なあに」 「あいしています、だれよりも」  だからはなれないでください。  ぎゅ、と。こぼれた不安ごと抱えるようにまた、距離が縮まった。 (わたしも、と、返した声はけれど夜にとけて、)
 そのたびにあなたがあいを与えてくれる。  2018.3.13