歪んでいたのはなにも視界ばかりではなかった。
随分と子供染みていた自覚はある。
「キャロル。…ねえキャロル」
大股で家路を引き返すわたしを、すっかり縮こまった声が追いかけてくる。歩幅の小さい声の主はきっと、ぴょこぴょこと跳ねるように付いてきているのだろう。いたって真剣な本人とは裏腹な歩き方を思い浮かべるだけで普段ならば頬がゆるむところだけれど、いまばかりは振り返って抱きしめてしまいたい衝動も姿を隠してしまっていた。
背中から降り注ぐ陽が、ふたり分の影を長く濃く地面に描いていく。わたしと彼女を重ねるこの太陽も、もうじき家々の狭間に落ちていくのだろう。
たしかに今日一日、テレーズの好きな風に過ごしてとは言った。いつもわたしの意見ばかりに付き合う彼女のやりたいこと、行きたい場所に付いていくと。
そうして朝から公園に向かったかと思えばカメラを構え、郊外に足を運べばフィルムに収めていく。かじかむほど寒くなっても手一つ繋がないまま、まるでわたしのことなど見えていないみたいに。せっかくふたりの休みが重なったというのに、甘い会話一つ交わさないだなんて。
認めよう、要は拗ねているだけだった、それこそ幼い子供みたいに。構ってもらえなかった、ただそれだけのことでへそを曲げるだなんて。
たしかに、ファインダーを覗き込むテレーズがあんまりにまっすぐで、見惚れて声をかけるのさえ忘れていたわたしにも非がある。そうではあるのだけれどそれにしたって、陽が傾くまで指先さえ触れないとは。
すっかり冷え切った手を擦ることもせず歩みを進める。アパートはまだ三ブロックも先だ。
「キャロル、ごめんなさい、あなたのこと考えずに、」
違う、謝罪が聞きたいわけじゃないのに。一度背を向けてしまった心がついには意固地になって振り返ってくれない。無駄に年齢を重ねるとこういう場面で非常に不便だ、なかなか自分を曲げることができないのだから。本当はいますぐにでも振り返って抱きしめてわたしが悪かったわと言ってしまいたいのに。
影が伸びていく、もうじき消えてしまうのだろう、そうなるともう、彼女が本当に後ろにいるのかさえわからなくなってしまう。いまにも愛想を尽かせて追い越してしまうのではと、そんな不安が夜の気配とともに忍び寄ってくる。
果たして予想が当たり、足音の間隔が短くなりやがて影がわたしの先を行ってしまった。息を止める、風が髪をさらって、
「──ごめんなさい、キャロル」
剥き出しになった首筋にぬくもりが降ってきた。またたきを一つ、視線の先で亜麻色の髪がひらめいている。
わたしのコートに顔をうずめたテレーズは、ごめんなさいと、くぐもった声を洩らしていた。そんな震える肩を思いきり抱きしめた、人目なんて気にする余裕もなく。
「謝るべきはわたしの方よ。許してちょうだい、ダーリン」
ただ、嫉妬していただけだった。彼女の眸に映る美しい世界に憧れながらも、けれどまるで恋でもしているみたいなその表情に。わたし以外に向ける、その感情に。なんて自分勝手だろう、なんてわがままなのだろう。天使の心だけでは飽き足らずその視線さえも奪ってしまいたいと、そんな欲を抱いてしまうなんて。
違うわ、と。顔を押し付けたままそれでも横に振られる彼女の頭を撫でる。このみにくい欲を打ち明けたところできっと理解はされないだろうから、心の奥底にそっと沈めたまま。
「冷えてきたから、早く帰りましょう。あたためてくれるんでしょう?」
「…うん」
ようやく濡らした顔を上げた天使に微笑んでみせた、うまく笑えた自信はあった。
(この歪んだ心を知った時、果たしてあなたは変わらずあいしてくれるのかしら)
それは恐れにも似ていて、
2016.3.6