口は災いの元とはこのことね。
少しだけ期待をかけていた、その水面色の眸がどうか私を映してくれないだろうかと。
わかっている、いまは大事なショーの真っ最中、わかってはいるけれどそれでも私はいつだって太陽みたいに光るその色にとかされていたいから。
そんなひとりよがりの願いが届いたのか、それともよほど視線ににじんでしまっていたのか。音楽に合わせ機嫌よく両手を振っていたグローリアがふ、と。私を沈めた眸を細めて──まるで春に戯れに降り立った天使みたい、なんて。
頭上に掲げていた腕が高度を落とすにつれ、私との距離も狭まっていく。てて、と。つけるとしたらそんな擬音。ふわり、甘やかな花にも似た彼女の香りが風に乗り、私をくるむように通りすぎていって。その一瞬に正常な思考さえ掠め取られていったのかもしれない。私がひととき失った理性を彼女が見逃すはずなかったのに。
間近に迫った無邪気な天使の表情は一変、いたずらな小悪魔のそれへと転じていく。そんな顔が他のだれかに見咎められるよりも先にぎゅう、と。香りに酔わされた身体が無意識に腰へと手を回し、自ら彼女を引き寄せてしまう。
顔を傾けてきた彼女の吐息がむき出しの首元にふれる、たったそれだけで、立っていられないほどのしびれが背筋を駆け下りて。至近距離で咲き誇るグローリアの、一見邪気の無いように輝く笑顔。ほらはやくと、視線が急かしていた、はやく抱きしめて、なんて。甘美な誘惑をかけてくる小悪魔をいますぐこの腕に収めてしまいたい衝動に駆られ、けれどはたと我に返る、ここはまだ衆人環視のただなか。
浮いた片手をすんでのところで柵へと戻せば、依然笑みで彩られたままの彼女の視線はけれど私を責め立てる、なんで抱きしめ返してくれないの、と。
なんで、って。だってふれてしまえばきっと歯止めがきかなくなってしまうから、人前だということも忘れもっとあなたの体温を求めてしまうから、なんて、言えるはずがなくて。
さらに距離を詰めてこようとするグローリアの身体を、腰をぐと掴むことでなんとか押し留める。ようやく不満の色を顔ににじませた彼女がわずかにくちびるをとがらせた。
「そんなに私がいや?」
「いやってわけじゃないわよ、ただね、」
「だったらさっさと抱きなさい」
「こら、言い方」
思わず叱ってみたってどこ吹く風、ついには子供みたいに頬をふくらませた彼女はそれでも大人しく身体を離す。陽だまりのようなぬくもりが遠ざかり途端、身を震わせる私はやっぱりひとりよがりが過ぎるのかもしれない。
不特定多数の目があるなかでふれてきた彼女の気持ちは痛いほどわかる、だって私も同じだから。ショーの最中ではほとんど隣にいる機会のない私たちがけれどどれほど親密なのか、どれほど想い合っているか──そしてお互いがだれのものであるのかを、見せつけたいなんて欲も、あって。
けれどそんな身勝手な願いでショーをかき回すなんてこと、あってはならないから。
離れゆく彼女の指をつととらえ、絡め、ふわり、彼女だけに通じるよう口元に笑みを乗せて。
「──ふたりきりのときにたくさん、抱いてあげるわ」
砂糖をふんだんに振りかけた私の声がハーバー中に響き、なぜだか歓声が巻き起こったのはすぐ後のこと。
(カルロッタさあ、マイクチェックはちゃんとしようよ)
(本当にごめんなさい)
(あのあと彼らが誤魔化してくれたからよかったものの、さすがに肝が冷えたぞ)
(そうよカルロッタ、ああいうことはふたりきりのときに言ってちょうだい)
(だれのせいだと思ってるのよ)
もちろんスタァからお叱りを受けました。
2018.5.20