きっと明日もその先も、
うそつき。
差しこむ朝日に目をすがめて、またたいて。それでも目の前の空間が埋まることはなくて、だれにともなく頬をふくらませる。
やわくかためた拳でぽすんと空白のシーツをたたいてみれば、ほんのりとぬくもりが伝わってくる、それはついさっきまでここに身体を横たえていたというなによりの証拠。それならなおのこと、私がまぶたを開くまでいてくれてもよかったじゃないの。
だって今日は、彼女とはじめて一緒に迎える朝だった、そうなるはずだったのに。
お泊まり自体がはじめてだったわけではない。なにかと理由をつけてはこれまでに幾度となくここで夜を明かしてきた。だけど家主であるカルロッタはいつもベッドを私に明け渡し、自分はリビングのソファで眠ってしまう。せっかく同じ屋根の下にいるというのにはなればなれの夜に、さみしさを覚えないわけがなくて。
こわいの、と。いつものように部屋の明かりを落とし、それじゃあおやすみなさいと去っていこうとする彼女の肘の辺りを気付けばつと掴んで引き留めてしまっていた。くん、と足を止めたカルロッタが振り向き、夜闇の中でもそれとわかるほど目を丸めて。
ひとりはこわいの。あからさますぎる言い訳をつい、重ねてしまう。
だってあなた、これまで普通に過ごしてきたじゃないの。口にするよりも雄弁な眸がそう訴えてくる。
ええ、たしかにそうね、だけどね私、あなたのぬくもりをもっと近くで感じたいの。だなんて、言えるはずもその勇気もなくて。
それ以上の言葉が見つからず俯いた私の手の甲をやさしく撫でたカルロッタは息をひとつ、てっきり引き剥がされると思っていた指をそのままに、するりと隣に滑りこんでくる気配。
見れば、仕方ないわねなんて表情を浮かべた彼女がそれでもやわらかな色をその眸にとかしていたものだから思わず綻んでいく頬をとめられない。カルロッタのネグリジェを掴んだままだった指をそのまま滑らせ、ぎゅ、とその手を握りこみ、顔の傍近くに引き寄せて。
これでこわくないわ。そう微笑んだところまでははっきりと覚えていた。
これまでにない距離にまで詰め、しかも手まで絡み合わせていたから、鼓動はそれはもううるさく鳴り響いていて。なんて憎たらしいほど整った顔なのかしらと、完璧すぎる造形についこぼれてしまいそうになるため息をこらえるのに必死で。
これじゃあ寝られるはずもないわ、そう思っていたのに、額にかかった前髪をさらりと撫でられ早く眠ってしまいなさいと囁かれた途端、抗いようのない睡魔に襲われてしまった、まるで魔法にでもかけられたみたいに。
いやよ、まだ夜ははじまったばかりじゃないの。そう、駄々をこねた気がする。
ずっといてあげるから、ね、だからおやすみ、グローリア。やわらかな声がそう落ちた気も、して。だからこそ安心して眠気に身を任せたのに。
指を開いて、握りしめて。まだ昨夜の感触が残っているせいで余計、さみしさと憤りが募っていく。ずっといてくれるって、言ってたじゃないの、うそつき。
やっぱり定位置であるソファに戻ってしまったのだろうか。そっと上体を起こせば、どこかひんやりとした風が肌をさらっていく。夏の足音が聞こえ始めたばかりのこの季節はまだ朝晩が冷え込むみたいで、特に森の奥に位置するここは、外界よりもそれが顕著のようだった。
まっさらなシーツを引き剥がし抱きしめるように身体に巻きつけ、ぺたぺたとはだしのままリビングへと足を進める。
「あら、おはよう」
果たして目的の人は、足音を聞きつけ顔だけをこちらに向け微笑んだ。
おはよう、じゃないわよ。挨拶にまで噛みつこうとした文句は、鼻をくすぐるコーヒーの香りにとかされていく。どうやらコーヒーを淹れたばかりのようで、カルロッタが手にしているふたり分のマグカップからは湯気が立ちのぼっていた。
「まるで幽霊みたいね、あなた」
「だって寒いんだもの」
シーツをまとったまま椅子に座れば、彼女もまた対面に腰を下ろす。くすくす笑いながら差し出されたカップを受け取り、両手で包んで暖を取った。
起き抜けの私にコーヒーをごちそうしてくれることも、変わらないこの距離もなにもかもいつも通りすぎて、昨夜のぬくもりこそ都合のいい夢だったのではないかと思えてしまう。
ふう、と息で湯気を散らす。煙ったその先の彼女もまた、吐息で揺れる水面を見つめていて。
──だけど。その眸のすぐ下が、黒くふちどられている気がした。まだ化粧を施していないはずなのに。首を傾げて、そうして浮かんだ可能性がそのまま口を突いて出た。
「もしかして。眠れなかったの、昨日」
ぴくり、目の前の人はマグカップを掲げた姿勢で動きを止める。その様子に、もしやと、それはきっとただの願望ではなくて。
「…私と一緒だった、から?」
「…別に、そんな」
明らかな動揺を視線に乗せてふらふらと彷徨う、その行動がなによりも私の言葉を肯定していて。
マグカップを置き思わずずい、と顔を近付ける、その分だけ背を反らすカルロッタ。だって、と。子供みたいに落ちた言葉は言い訳じみていて。
「あなたの寝顔が、あんまりにも、その、」
「あんまりにも、なによ」
「…あんまりにもかわいかったもの、だから」
どこかで期待していた通りの答えに段々と頬がゆるんでいく、対して彼女はその頬を朱に染めていく。
つまり、ああつまりカルロッタも、思う通りに鎮まってくれない鼓動を抱えていたのね、私と同じように。
もはや疑いようのない真実がどこまでもうれしくて、どうしたって隠しようのない笑みをそのままに彼女の身体を引き寄せぎゅうと抱きしめる。こらグローリア、あぶないわ。慌てた口調のそれには恥じらいも混ざっているようで。
彼女の制止も聞かず、つややかな髪を思いきり抱き留める。ああよかった、我知らず安堵が吐息となってこぼれて。緊張していたのも、見惚れていたのも、私ばかりではなかったのだと。
くるしいわ。くぐもったカルロッタの声に慌てて力をゆるめ、マグカップを置いてようやく空いた指をとらえる。じんとあたたかなぬくもりはなにもコーヒーの熱ばかりではない気がして。
昨夜ぶりの距離にまたたきをひとつ、彼女も同じタイミングでひとつ、そうしてくすくす笑い合う。
「ね、カルロッタ。明日こそちゃんと、起きるまでそばにいてちょうだいね」
「仕方ないからそばにいてあげるわよ、グローリア」
しれっと取り付けた明日の約束に、だけど彼女は指を握り返すことで応えてくれた。私たちの間で、色違いのマグカップが呆れたように湯気をくゆらせていた。
(そうしてまたひとつ、あなたと何気ない朝を重ねて)
これからゆっくり慣れていくといい。
2018.6.15