そうしてはじまる光の夏に、

 葉の隙間をすり抜けた陽射しが肌を焼く。  じりじり、そんな表現が正しいほど強い陽光から逃れたくて、一際大きな木の足下にあるベンチに陣取ったというのに、もたらされたのは少しばかりの日陰だけ。  いくら鬱蒼と茂る奥地の暑さに慣れているからって、都会の暑さとはまた別物だ。私が居を構えている場所では汗が絡み付くことはないし、清涼な風だって吹いている。  比べてここは一陣の風もない、アスファルトに反射しているのか上からも下からも熱気が押し寄せてくる、おまけにどこにいるのか虫の大合唱がさらに暑さを煽ってくる。こんな気温でよくそう元気に鳴いていられるものだと感心できればまだ楽なのかもしれないけれど、ベンチに残るわずかな涼を求めているうちは無理そうだ。  背にもたれ、空を仰ぐ。きらりと覗いた光は私のよく知るそれと同じ。だというのにそれ以外のなにもかもが違いすぎて。けれどここでたしかにあの子は生活しているのだと。  眸を、閉ざす。まぶたの裏にこびりついた残像がふ、と、かき消えて、 「──ようやく見つけたわ!」  涼やかな声が落ちてきた。  覚えのある音につられて目を開けてみたのに、視界いっぱいに広がったのは木洩れ日ではなく荒い編み目。両手で取り去り掲げてみれば、グローリアが夏場によく被っている麦わら帽子だった。  その持ち主はといえば、その身で陽を遮り顔を覗きこんでくる。なにが楽しいのか、さかさまの表情はくすくすと笑んでいて。ようやく来たわね、なんて返す口さえつられて綻んでいく。彼女の姿を見とめただけでほんの一瞬でも暑さを忘れてしまうのだから本当、私も現金なものだ。 「いつもの席にいないんですもの、探したわよ」 「だってあなた、あそこオープンテラスじゃない。私に蒸し焼きになれとでも?」 「あら、私のために耐えてくれたっていいでしょ」  ベンチを回りこみ、隣に腰かけた彼女はいつも待ち合わせているカフェでテイクアウトしてきたらしいコーヒーをひとつ差し出してくる。麦わら帽子と引き換えに受け取れば、手のひらに冷たさがにじんだ。コーヒーをひとくち、体温が少しばかり落ち着く感覚。  じ、と私を見つめていた彼女はそうしてわずかに眉尻を下げる。 「お待たせしてごめんなさい、打ち合わせが少し長引いてしまって」 「いいわよ。私もいま来たところだったから」  私のあからさまな嘘に、ありがとう、と表情をやわらげて。  足を浮かせ、ぷらぷらとミュールをつま先でもてあそぶ彼女が、今日はどこに行きましょうかと期待に声を弾ませる。 「ここより涼しい場所がいいわね」 「また私のサロン?」 「そうね、あなたのサロンはよく冷房が効いているもの」 「人の職場を避暑地代わりにしないでちょうだい」  文句を叩きながらも麦わら帽子を頭に乗せ軽快に立ち上がった彼女はくるりと振り返り、まっさらな手を伸ばしてくる。表情を追いかけ視線を上げれば、きらり、さっきと同じようで、けれど私の知っているどんな光景よりもまだまぶしくて。  目をすがめる代わりに指を重ねる。まだ水滴の残る冷たいそれがぎゅうと握って、絡まって。 「ほら早く。涼みたいんでしょ?」  光がたしかに笑った気がした。 (あれだけ煩わしかった陽射しも彼女がまとえばこんなにも、)
 蝶は都会の夏によわそう。  2018.7.5