わたくしいろをあげる。

 首元が寒そうだった、ただそれだけの理由だった。  せっかく贈るのなら彼女に似合う色にしようと思案し、本人にもそれとなくすきな色を窺って、最近は太陽みたいに明るい色もすきよと返されたものだから、宵色を好んで身にまとうあなたにしては珍しいわねなんて首を傾げつつ、ラフ画をいくつも描いていくうちに楽しくなって、編み針のスピードが徐々に上がる、そうよ、観劇の約束を交わしたあの日はこの冬一番の冷え込みらしいから、思わず襟を合わせる彼女に完成したこれを差し出せばさぞや喜ぶに違いないと、寒さと嬉しさで上気した表情を浮かべれば作業効率が一段と上がり、他の業務は後回し、早く彼女との約束の日が来ないものかとカレンダーに一日一日と印をつける始末、日を追うごとに長さを増す太陽色のそれの出来にひとり笑みさえこぼしながら、一体彼女はどんな気持ちでこれを受け取ってくれるだろうかと。  *** 「─…ええ、と、」  そうして指折り数えた当日。世間に合わせてクリスマスカラーのショッパーに無事完成したそれを収め、足取り軽く劇場へと向かえば、既に到着していたカルロッタの首元は灰褐色の上品なスヌードであたためられていた。  来訪を告げようと開いた口がそのままのかたちで動きを止める。お待たせしてごめんなさい、なんて一言さえ覗かないわたくしの姿を見とめたカルロッタが振り返り、ふわり、雪どけみたいに微笑んだ。この寒さで紅潮しているからか、普段の凛とした空気は鳴りを潜め、代わりに幼さが前面に押し出されていた。ええ、たしかにかわいいわ、行き過ぎる誰も彼もが霞むくらいにかわいいけど、その表情はこのショッパーの中身を渡したときに見たかったの。  硬いアスファルトを打つヒールの音でようやく我に返る。かつり、目の前で足を止めたカルロッタは、わたくしの首元に視線を向け困ったように笑った。 「あら、グローリア、こんな寒い日に忘れてきたのね、マフラー」 「…え、ええ、少し、慌てていて」  忘れていたわけじゃない、自分用のマフラーだってこのクリスマスカラーの中にちゃんと用意してある。彼女のために編んだそれを贈って、実はわたくしとおそろいなのよと続けて取り出すつもりだった、そのはずだったのに、彼女の首元のあたたかそうなそれを見ればもう自分のさえ引っ張り出せなくなってしまって。  ようやくそれだけの嘘で取り繕い、ごめんなさいと慌てて微笑んでみせる。いつも通りを装えた、はず。  ***  驚きと落胆から抜け出せず結局、歌劇にまったく集中できなかった。いま一番入手困難だと言われている演目のチケットをせっかくカルロッタが手配してくれたというのに──ああでも、そのカルロッタが悪いのよ、なんて、諦めの悪い自身が顔を出す。  いいえ、防寒具を持っていないと結論づけたのがそもそもの間違いだったのだ。この極寒の街ですき好んで肌を晒すはずがないというのに。せめてプレゼントする旨を伝えておけばこうはならなかったところを、間の悪いわたくしはいつだってなにも言い出すことができなくて。 自らこしらえたのだろうか、それとも誰かからの贈り物だろうか。わたくしの知らない誰かにとびきりの笑みを向けるカルロッタの姿が胸を締めつける、その笑顔は、わたくしがほしかったのに。  磨き上げられた大理石の床がじわりとにじむ、演目の感想を口々に言い合っている観客たちの声が通り過ぎていく、なんだかひどく惨めな気持ちになって、ただ一刻も早くこの場を抜け出したいと顔を上げ、 「どうしたのグローリア、もしかして体調でも悪いのかしら」  ふいに覗きこんできた─そしていまなによりも鉢合わせたくなかった─夜に似た眸と、灰褐色に彩られた首元。夜色にとかしこまれた女が泣き出すようにくしゃりと顔を歪める、もうだめ、こんなことくらいでとも思うけど、でも、だって、きれいなその首を飾るのはわたくしでありたかったのに、わたくしの色に染めたかったのに。 「カルロッタ、の、ばかっ」 「ちょっ、と、どうしたのよグローリア」 「ばかばか、いままでなにも巻いてこなかったくせになんで、なんで今日に限って…」  単なるやつあたりだってことくらい、自分が一番よくわかっている、わかっているけど、一度飛び出した泣き言はもう帰ってきてくれなかった。ぼたりぼたりと落ちる大粒の雫が、自身のむき出しの首筋を伝い落ちていく。観客が通り過ぎざまに何事かと視線を投げてくるけどもう人目を憚る余裕さえなくてただ子供みたいにくちびるを噛みショッパーの紐をぎゅうと握りしめるばかり。 「わたくし、ね、マフラーを編んできたの、あなたに」  涙腺が言うことをきいてくれない。きっと手のひらには紐の跡がきつく残ってしまっている。渡すことのできないプレゼントの種明かしがこんなに虚しいだなんて知らなかった、知りたくなかった。 「でも、あ、あなたがあたたかそうで、よかった、わ」  こわくてカルロッタの表情を窺うことさえできない、だって絶対呆れているから。こんな子供みたいな理由で泣き出したのだ、愛想を尽かされないわけがない。  どれだけ涙をこぼしていただろう。観客がまばらになり、ざわめきが夜の街へとけても、目の前で立ち止まっている人の声は聞こえない。駆けて帰ってしまいたいのに足はいまだ言うことをきいてくれそうになかった。いっそ彼女の方から立ち去ってはくれないだろうかと、そんなことを考えているところへふと、差し出される灰褐色のそれ。 「ちょっと持っててくれる?」  問い返す暇さえ与えられず腕の内に投げられたスヌードを思わず抱きかかえる。ショッパーを漁ったカルロッタはあっという間に宵色のマフラーを取り出すと、外気に晒したままだったわたくしの首にやさしく巻きつけた。毛糸のやわらかな感触に目をまたたかせる。  スヌードを取り返し、続いて引っ張り出した太陽色のマフラーに代わりショッパーへと収めた彼女は、つい今朝方完成した目に鮮やかなそれをこちらへ渡してきた。そこでようやく顔を上げれば、おねがい、とカルロッタがやわく目尻をとかす。 「マフラー。私に巻いてくれないかしら」 「…でも、これ、」 「そのスヌードね、うちの子に借りたものなのよ。うんと冷えるみたいだったから、今夜だけ」  肩の重みがどっと落ちたみたいな心境だった。それならそうと早く言ってちょうだい、と理不尽な怒りと安堵にまたゆるみそうになる涙腺を、やっと浮かべた苦笑で誤魔化しマフラーを広げる。ん、と腰を屈めるカルロッタのまっさらな首筋がまぶしい。ふれたい衝動を抑え、きつくならない程度に一度、巻きつけた。春の陽気を思わせるその色は彼女のイメージと正反対のはずなのに、はじめからそこにあったようにしっくりと馴染んでいる。  背を正した彼女が確かめるようにマフラーを撫で、ふ、と。 「似合うかしら」 「…誰が編んだと思ってるの。似合うに決まってるわ」  いっぱいに広がったのは、わたくしが一番見たかったあの表情だった。 (だけどどうしてその色がすきなの) (だってあなたの色だから)
 彼女たちのメリークリスマス。  2018.12.27