それ、すき、ってことじゃんか。

 完成したそれを前に、腕を組んで一思案。  僕の仕事は完璧だった。従来のマーメイドラインをなぞるだけだと面白さが足りないから、ウエストからヒップにかけてぐるりと人魚の尾びれを模した刺繍を施した。あの美しい背中が映えるよう切りこんだ深いVカットの縁にふんだんにあしらったレース。僕のアートの神髄であるアクアポップの要素を取りこみつつも、着用者の華やかさを隠してしまわないよう意匠を凝らした。僕の作品に特に厳しい彼女もきっと、この出来には満足してくれるはず。  花よりもまだ可憐な笑顔が目に見えるようだ。普段であればその素直な賛辞に、まあ僕の手にかかればこれくらい、と照れ隠しに余裕を飾るところだけど。渡したくない、なんて、思ってしまった。 『ウェディングドレスをつくってほしいの』  彼女が依頼してきたのはまだ秋の気配が残るころ。彼女の口から飛び出した聞き慣れない単語に思わず顔をしかめ首を傾げる。 『いくらすきでも花とは結婚できないんだよ、知ってる?』 『随分と失礼なこと言ってる自覚ある?』  呆れつつも、僕が放った結婚という言葉を否定はしなかった。  どこか高揚した様子の彼女が次々と挙げる要望に、生返事しかできない。目の前がまっくらになったみたいだ。いつ、だれと。彼女をだれよりも見つめてきた自信があるのに。障害となりそうな人間は遠ざけてきたはずなのに。なのに彼女は僕の手をすり抜け、だれかの手を取ってしまうというのか。 『…だめ、かしら』  僕の様子に気付いた彼女が、不安を灯して見上げてくる。ずるいよ、そんな顔されて断れるわけがないのに。  僕だってプロだ、依頼を反故にすることはできない。彼女のドレスに、僕の願望をすべて詰めこんだ。彼女に着せたかったデザインを、彼女を一番引き立たせるかたちを、僕の隣でこれを着てほしかったという想いを。  ぐ、と。くちびるを噛みしめるのは何度目か。 「あら、素敵!」 「わぁお!」  肩越しに響いた声に飛び退った。急いで振り向けば、依頼主であるグローリアが目を輝かせていた。 「ちょ、なん、声くらいかけてよ、グローリア!」  声を張り上げる僕を意に介した様子もない彼女は脇をすり抜けると、仕上がったドレスを至近距離で見つめる。壊れ物にでもふれるみたいにそっと手を伸ばし、肌触りを確認して、ほう、と。その息が、表情が、ドレスへの感想を言葉よりも雄弁に伝えてくれた。  胸がじくじくと痛む。グローリアがこの先になにを想像しているのか、考えたくもなかった。 「ありがとうオーシャン、これ、」 「渡さないよ」  グローリアの動きがぴたり、止まる。かたまっているのか、引きつっているのか、悲しそうにしているのか。そのどれも見たくなくて、視線を足下へ。  わたしたくない、着させたくない、僕以外のだれかにその姿を見せて、きれいだよなんて言われるなんて耐えられない、だって僕は、 「―…このドレスを着たグローリアの隣にいたかった、のに」 「──ようやく言ってくれたわね」 「………へ?」  いま、なんて。予想外の言葉に思わず顔を上げる。  てっきり落胆か悲哀を向けられていると思っていたのに、浮かんでいたのは安堵したような笑み。ともすれば泣き出しそうなほど水を張った眸が僕だけを映しこむ。ずっと待っていたのよ、と口調はどこかふてくされた子供のそれみたいに。 「あなた、いつまで経っても言ってくれないから。こうすれば少しは踏み出してくれるんじゃないかって」 「え、と、あの、グローリア、もしかしてぜんぶ、」 「ぜーんぶ。気付いてたわよ、あなたがわたくしをすきってことも」  別の意味で視界がまっくらになっていくようだ。そんな、必死で隠して澄ましていたつもりだったのに、ぜんぶ駄々洩れだったなんて。  頭を抱える僕を前に、グローリアはなぜか照れたようにそっぽを向く。 「その。あなたのタキシードはもう、用意してあるから」  言葉の意味が理解できなくて首を傾げて。鈍感ね、と目の前の頬がまっかに染まる。その反応に、間抜けにも開いた口が塞がらなかった。  だってそれ、それって、 「…ははっ、なんだよ、それ」 「ちょ、ちょっと! 笑わないでよ!」  百面相よろしく今度は怒り始めた彼女にぽかぽかと叩かれても、笑いは止まらない。ここ数ヶ月、ひとりで悩んでいたことがなんだか馬鹿馬鹿しく思えた。嫉妬も怒りも寂しさも覚える必要がなかっただなんて。ほんと、馬鹿みたいだ。  笑いすぎておなかが痛い。目尻に涙が浮かぶ、そう、笑いすぎたせいだ。  いまだ僕の肩を遠慮なく叩いているグローリアの手を取る。引き寄せて、まっさらな左の薬指にくちづけを。彼女が息を呑む。お待たせしちゃってごめんね、と前置きをひとつ。 「──君のためにつくったこのドレスを、僕のために着てくれませんか」  彼女の返事は、涙で見えなかった。 (オーシャンとグローリアは俺の一番の友であり、ともに切磋琢磨した…ううっ…) (ちょっと。練習から泣いてどうするのよ。隣に並んだ私がいたたまれなくなるじゃないの)
 友人代表挨拶で錆が泣く未来しか見えない。  2019.3.20