春過ぎて、
久しぶりにまみえた彼女の肌は、ちっとも日焼けしていなかった。
「ごめんなさい、待たせたかしら」
「いいえ、わたくしもいま座ったばかりなの」
日陰であるこのテラス席に逃げこむように腰を下ろしたカルロッタは、ショルダーバッグから取り出したハンカチで首筋を押さえる。蝶の翅と花弁の刺繍をさりげなくあしらった、リネンのハンカチ。ちゃんと使ってくれているのねと自然、口元がゆるんだ。
春以来の再会、だろうか。
待ち合わせるのははじめてではないけど、なかなか休みが重ならない分、回数は少なかった。ひとつ前の季節では毎日飽きるほど─彼女の顔を見飽きることなんてないのだろうけど─顔を合わせていたというのに。
仕事に明け暮れる日々に感じていたさみしさを、ようやく会えると躍った心を、彼女も同様に抱えていただろうか。悟られないよう観察してみても、汗を拭う姿からは読み取ることができなかった。
拭い切れなかった汗がひと粒、大きく開いた胸元につたい落ちていく。
店内の方がよかっただろうかと一瞬後悔したものの、人工的な風は嫌いなのだと以前、彼女がこぼしていたから。幸いにも今日はまだ心地よい風が吹いている。彼女の汗も少しは引くだろう。
それにしても。
夏の装いとはいえ、少々大胆すぎやしないだろうか。もちろん決して下品な開け方ではないけど、この暑さでは仕方ないけども。わたくし以外の視線が集まったらどうするつもりなのかしら。
などと考えている間に運ばれてきたふたり分のアイスコーヒー。よく冷えたそれを前に、カルロッタの眉が上がった。
「あら、いま座ったばかりじゃなかったの」
「そんなこと言ったかしら」
「…まあいいわ」
素知らぬふりでグラスを取り、ストローを口に運ぶ。水滴が指先に心地よい。
諦めた風のカルロッタもわたくしに倣ってコーヒーを一口。のどが鳴る。まっさらなのど。いまだ汗の残るそこに視線が吸い寄せられる。ああわたくしも、あの汗になれたら。
「それより、」
「ひぁ、っ」
ひやり、冷気は胸元から。ついさっきまでグラスを弄んでいたはずの指が鎖骨をたどっていく。
「さっきから気になっていたんだけれど、開けすぎじゃないかしら、ボタン」
ほくろの数でもかぞえるみたいにゆっくりと。視線も沿ってゆく。あかいあかい舌が自身の歯列をなぞる。宵色の眸にとけた感情が心配なのかはたまたわたくしが覚えたそれと同じなのか。思考をまとめたいのに、鼓動がうるさく阻んでくる。
指がひとつ、もうひとつ。
「ねえグローリア、…私、」
肩が跳ねる。もうだめ、もうむり、耐えられない。
「や、」
思わず指を掴んでいた。わたくしの指先のほうが、彼女のそれより幾分冷たい。
ふ、と持ち上がる視線。それまでの色も感情もすべて霧散して、あるのはただ、後悔。拒絶と捉えられてしまったのだろうか。そんな意図はなかったのに。あれ以上ふれられたら心臓がもちそうになくて、自身がなにを口走ってしまうかわからなくて。
だけどもわたくしの心中なんてちっとも汲み取れていないカルロッタはそのまま、指を抜き去った。
「…ごめんなさい。暑さでちょっと」
視線が逸らされる。ごめんなさい、はこちらのセリフなのに。誤魔化すようにグラスを引き寄せ、だけどストローに口をつけようとはしない。
わたくしが指を止める前、果たして彼女はなんと続けようとしたのか。尋ねようにもきっともう、胸の奥に仕舞いこんでしまったのだろう。あのまま身を任せていれば、あるいは。
伏せた視線の先で、ハンカチに刺繍した翅が物寂しく揺れているように見えた。
(季節が変わってもわたくしたちの距離は変わらないまま)
この距離は埋まるのか、それとも、
2019.8.8