能ある猫はなんとやら。

 ──撫でればすぐに目尻をとかす従順な猫だと思っていたのに。  いまならわかりますとも、ええ、あれは爪を隠していただけだって。最初は私に身を任せ、すきなようにさせて、年上としての意地だとかかわいい年下と存分に戯れたいだとかいう欲を充分に満たさせたのね。  はじめはそれはそれはかわいかった。  ベッドに転がした途端、首筋まで染めそっぽを向いたグローリアは、普段の強気な同僚と同一人物とは思えないほど。  慣れてないからやさしくしてちょうだい。  恥ずかしそうに口元に手を運び、ちらと横目で窺ってきた彼女はたしかにそう言った。  ええ、いやというほどやさしくするわ。きっと不安だって感じているのだろうと、やわらかに髪を梳きながら返事に余裕まで乗せて。  やさしく、なんて悠然と微笑んだものの正直、自信なんてひとつもなかった。彼女よりも長い人生の中で、だれかと夜を共にした経験がないわけではない、もちろん。だけど同性と、つまり相手を組み敷く側に立ったのはこれがはじめてのことで。  だけれど自分からベッドに誘い天井を仰がせておいて今更、手順がよくわからないから交代してほしい、などと言えるはずがなくて。  それに未知の経験への不安より、彼女をあますところなくあいしてあげたいという想いのほうが強かった。  さわられることが嫌いというわけではもちろんないし、ほんのり熱を持った彼女がぎゅうと握り返してきた指先から瞬時に全身へと痺れがつたうほど私も高ぶっていたのだけど。そんなに心を惹かれた相手だからこそ、いとおしさが募るままふれてあげたくて。私の拙いあいしかたでも受け止めてくれる彼女をもっともっとと、求めないはずがなくて。  ***  そう、あれは身体を重ねた三回目の夜だった。  腕の内に抱き寄せた彼女がぽつりとこぼした言葉が聞き取れなくて──きっと睦言だろうとゆるむ頬をそのままに耳を寄せる。 「なあに、グローリア」  自身の声にとける甘さ。納品期限間際にはその声の覇気と鋭さからモデルたちに魔女とまで言わしめるこの私が、砂糖をふんだんに含ませてもまだいとおしさを表現するには足りないと思うだなんて。  太陽色の髪をとき梳かす。絹もかくやというほどやわらかな感触に促されるまどろみ。どちらのものか判別つかないくらいに汗をかいたあとなのだから今夜もよく眠れるだろう。  そんな夢の算段を立てている私に視線を重ねたグローリアは、薄桃色のくちびるで弧をえがく。差しこむ月明かりさえ彼女を照らすスポットライトでしかないのねと、早くも眠気に半分ほど支配された頭が思ったのはそんなことで、 「今度はわたくしの番よ」  寝ぼけた思考のまま見惚れていたものだから、喜々としてそう告げたグローリアの次の行動に鈍い反応しか返せなかった。  世界がぐるり、おおよそ九十度回転する。  見知った天井を背景に、ついさっきまでシーツに縫い止められていたはずの人は、同じ体勢に持ちこみ艶やかに眸を細めた。嫌な予感が背を走る。 「番、って」 「あなたにさわりたいってこと」  言い終わる前に脇腹にふれる指先。あばらの数でもかぞえるみたいにじわり、侵食してくる熱に思わず息がこぼれる。これでは思考が追いつく前にぜんぶぜんぶとかされていってしまう。 「番っていうのはつまりこれから先ずっと、ってことなのだけど」  なんでもないことのように落とされた宣言に唱えようとした異は、内太腿を這ったもう片方の指に制された。  これまでの疲労が溜まっているのだろうか、身体を起こす体力が残っていない。だというのにくちびるからはひとつふたつと音が洩れていく。うんと砂糖をふりかけたそれに、グローリアの微笑みは増すばかり。  きっと機を窺っていたのね──私の動きを、ふれかたを、名前の落としかたを観察して、覚えて。それはイコール、私の好みでもあるから。優秀な彼女はこんなときにだって才能を発揮するのだ、悔しいことに。  膝頭にくちづけが降る。  なんとか視線だけ投げた私に、ようやく爪を現したグローリアは、それはそれは嬉しそうに笑った。 「声。きかせてちょうだいね」 (それは私がずっと彼女にかけていた言葉そのものだった)
 年上の矜持も長くは続かない。  2019.9.17