物には順序がございまして。

「そうね、私に似合うドレスを作ってくれたら考えなくもないわ」  まあカルロッタったら、出来もしない約束を結ぶものじゃありませんわ。  子供の癇癪のように叩く素振りを見せる彼女を想定していた。はいはいごめんなさいね、とかわいらしさにひっそり頬をゆるめる予定だった、そのはずだった。 「ドレス…」  しかし彼女の反応は、想像していたそのどれにも当てはまらなかった。刺繍を膝に乗せたまま片手をあごに添えてそれきり、ふうむと考えこむ仕草を始めたのだ。  あら、と一瞬眉を跳ね上げたものの、けれどそれきり、カルロッタはさして気に留めなかった。行動が読めないのがグローリア・デ・モードという人だ、心積もりが外れるのも珍しいことではない。  わずかに拍子抜けしながらも再び作業台に向かえば、室内に響くのはミシンが奏でる軽快なワルツと、ソファで腕を組むその人の唸り声ばかり。わたくしがいるというのに仕事なんて、と常であれば飛ぶはずの文句もいまは鳴りを潜めている。内心首を傾げはすれど、まあそういう日もあるわよね、とここでも特に注意を払うことはしなかった。同じ空間を共有しているというだけで、カルロッタは満足だった。  彼女は失念していたのだ。グローリアには冗談というものが通じないことを。  ***  次にまみえたのは実に三ヶ月後のことだった。  グローリアはどんなに多忙であろうと必ず二週間周期でカルロッタのもとへ現れる。旅費も馬鹿にならないでしょうに、とせめて片道切符だけでも渡そうとするカルロッタに、わたくしを帰したくないという意味でしたら喜んでいただきますけれど、と軽やかに断りを入れてみせるのだ。  そういうこともあって最近では、カルロッタの方からも訪うようになっていた。もちろんグローリアほど頻繁でも唐突でもない。まめに届く手紙の返信に、訪問の伺いをそれとなく紛れこませ、興奮のにじむ快諾を受けいそいそと都会行きの支度をする。それが大体三ヶ月に一度。  グローリアの来訪が絶えた当初は、地元を離れられないほどの事情があるのかと推察した。よもや病に伏してはいないかとその身を案じた。いや、単にこちらへの興味が薄れただけかもしれない、と寂しさに襲われもした。  けれど手紙ばかりは変わらず届き、差出人のとりとめもない日常や仕事の話、最後には決まって受取人への想いを綴っているのだから、首を傾げずにはいられない。通常運転の相手に、ところで次はいつやって来るのか、などと尋ねる図々しさが彼女にあるはずもなく。  煩悶とした心を抱えながら三ヶ月が過ぎたころ。  見るからに重そうなバッグを抱えた件のその人が、不在期間など無かったようにいつもどおり自室兼作業部屋へと乗りこんできたのだ。もしやこちら側から赴くよう仕向けているのだろうか、そろそろお伺いを立てるべきなのだろうか、などというカルロッタの推測はまたもや外れてしまった。  相変わらずカルロッタ以外には訪問の旨を伝えていたのだろう。手際よく差し出された紅茶を受け取ったグローリアは、我が物顔でソファに腰を落ち着かせる。いつもと違うといえばその表情。どこか高揚したように火照った頬が気にならないはずがない。 「…ところで、」 「ところで」  意を決し、ようやく口を開いたと同時。同じ音が重なる。譲る隙も与えず、興奮を隠しきれない様子のグローリアはカップを置き、勝ち誇ったように微笑む。 「三ヶ月。逸る心を抑えて作業に打ちこむのに苦労しましたわ。だって一生に一度の晴れ着ですもの、焦りに任せておざなりな仕事をするだなんて、わたくしの名が許しませんわ」 「作業ってなんのことよ」  疑問にはまるで耳を貸さず、ボストンバッグの鍵を恭しく開けてみせたグローリアは布地を取り出した。壊れ物でも扱うように慎重に、表情は誇らしげに。そうして全貌を現したのは、どこからどう見ても花嫁衣装だった。陽が沈み、夜が訪れるあわいを切り取ったかのような色。宵を知らせる蝶は、華麗に広がった裾を目指して舞っている。  視線や思考の一切が奪われ、我知らず感嘆の息が洩れる。他の依頼もあっただろうに、三ヶ月でここまで完璧に作り上げるだなんて。思わず伸ばした指にやわらかな生地が馴染む。いまだ知れない彼女の底にもはや尊敬の念を抱くしかない。  ほう、と息をつくカルロッタの反応に満足したのか、制作者であるその人はふと目を細めた。さながらご褒美を待つ子供のよう。 「ところで」  先ほどと同じ言葉を繰り返したグローリアはつ、とカルロッタの左手を捧げ持つ。 「これで果たしてくださいますのよね、約束」 「約束」 「似合うドレスを作ったら生涯の愛を誓ってくださると」 「あなたに」 「わたくしに」  果たしてそんな大層な約束をしただろうかと考えあぐね、そうしてよみがえるのは三ヶ月前の何気ないやり取り。  まだ春の気配が色濃く残るころ、カルロッタもグローリアも花嫁たちからの依頼に多忙を極めていた。ミシンを走らせるカルロッタの横で、あなたもそろそろわたくしに愛を誓ってくださってもいいのに、と。たしかそんなようなことを、ドレスの裾に刺繍を施しながらぶつくさ呟いていたのだ。  そんな彼女に冗談とはいえ、考えなくもないわ、と返したカルロッタも恐らく、忙しさに頭がうまく回っていなかったのだろう。けれどまさか真に受けて、忙しさを縫ってこんなものをこしらえてくるとは。 「もう式場も押さえてありますの、三ヶ月後ですわ」 「さ、三ヶ月ってちょっとあなた、」  唖然と口を開けるばかりだったカルロッタがようやく言葉を取り戻す。行動が読めないのがグローリア・デ・モードという人だ、そうではあるものの、ここまで突拍子もないとは。  反論するべく立ち上がりかけた眼前で、あら、と。注がれるのはどこか挑戦めいた視線。 「カルロッタ・マリポーサともあろうお方が、わたくしに似合いのドレスをあつらうのにまさかそれ以上の時間がかかるとおっしゃるの?」  冗談を本気にして─そもそもカルロッタは『考えなくもない』と言っただけなのに─衣装を作り、式場を予約し、勝手に期日をねじこんで。無理難題を押しつけられているのは明らかであるのに、不思議と怒りも拒絶も浮かばなかった。骨を食らわば皿までだ。  諦めを全面に押し出そうとついたため息にはけれど少しの喜びと闘争心がにじんでしまう。目敏くも汲み取ったグローリアが笑みを深める。 「三ヶ月後。楽しみにしていますわ」  繋がれたままの手をほどき、代わりに華奢な左手を取ったカルロッタは、まっさらな薬指にくちびるを落とし、ふ、と微笑んだ。 「覚悟してなさい」 (私の名に賭けて、あなたに愛という名のドレスを)
 滑りこみジューンブライド。  2021.6.29