すきなの、あなたのことが、ほかのだれよりも。
こぼれおちていく、なにもかも。
「─…私も、」
その先が聞きたかったわけではない、返事がほしかったわけではない、応えてほしかったわけでもない、ただ想いをはき出したかった、自分ひとりではもう抱えきれなくなったそれを、押しこめきれなくなったたくさんのそれらをただ、解放してあげたかっただけなのに。
私も、と。投げられた言葉を吟味するみたいにまたたいた彼女はそうして口を開く、その続きを──先の知れた諦めをいまさら、自覚したくはなくて。だけど私には彼女の言葉を止める術も権限も持ち合わせてはいなくて。
「すきよ、あなたのことも」
いっそ耳をふさげたら、削ぎ落せたらどんなにかと願うのに、私の身体は笑みを張りつけることさえしてくれなかった。
すきだと無責任にも投げて返したその人は眸を伏せ優美に微笑む、まるでなんでもないふうに。いいえ、彼女にとって実際なんでもないことなのだろうけど。ああせめて『あなたのことも』ではなく『あなたのことは』であれば、言葉の裏を読み解こうなんて考えずいつも通りの微笑みをたたえただ純粋にありがとうと受け止められていたでしょうに。彼女の愛する自然やその他大勢と一緒にされたくなかった、彼女の特別でありたいと、奥底で眠らせていたはずの欲が顔を出してしまった。
「…なによ、それ」
声を震わせてしまわないよう指を握りこむのが精一杯。
ふいに顔を上げた彼女との距離を詰め襟を掴みぐいと、引き寄せた眸いっぱいに私が映りこむ、その色に含まれているのが憐れみか同情か、ああきっとその、どちらも。それだけ、たったのそれだけで悟ってしまった、彼女は完全に理解しているのだと。
「そういう意味で言ったんじゃないって、知ってるくせに」
「グローリ、」
「あなたに対する想いは他とはちがうって、わかってるくせに」
浮かせたかかとがじりじり痛む、いっそこのまま心とともに沈められたらいいのに言葉は留まるところを知らない。のどから想いがこぼれ出る、じんわり、世界ごと彼女がにじんでいく、涙を見せるなんて卑怯だと責め立ててみたってさっきから自分のものでないみたいに言うことをきいてくれない。
「それなら、」
ばかみたいだと。叶うことのない想いを抱いてしまうなんて、叶うことのない相手に感情をぶつけるなんて、本当、ばかみたいに。
「やさしくなんて、しないでよ…っ」
あなたと分かち合ったときから、やわらかな笑みを向けられたあの日から、あなたを一目見たその瞬間から惹かれてしまっていたことをきっと彼女自身知っていたくせに、わかっていたくせに、特別な感情を抱く気さえないくせに。
それならどうして眸に映してくれたの、どうして微笑んでくれたの、どうしてすきだなんて簡単に口にしたの。拒否できないにしてもせめて曖昧にとかしてくれたのならそれ以上自分の滑稽なまでに膨れあがった心を見ることなく蓋ができたかもしれないのに一体どうして、どうしてあなたは、
「─…グローリアだって知らないくせに、」
どうしてあなたまで、泣いてしまうの。
頬をすべる透明な涙が、白磁の肌を透かす。つうと流れたそれがあごを伝い、いまだ襟ぐりにしわをつくる私の甲に落ちて、じわり、雫に包まれていた熱がとけていく。彼女の涙を目にしたのははじめてだと、どこかから俯瞰している私が思ったのはそんなこと。
「なに、を、」
「私が。私がどれだけ、…どれだけあなたに焦がれているのか。なにひとつ、わかっていないくせに」
おもむろに伸びた手がするりと私の頬を通りすぎ、髪をひと房さらっていく。指の腹でまるで慈しむように撫で、そうしてくちづけて。持ち上がった視線が孕む熱を、私は知らない、見たことがない、だって彼女がこんな色の眸を向けてきたことなんてただの一度も、
「いつだって。いつだってあなたを見つめてきたわ、グローリア、けれど踏み出せなかった、だってこわかったから。拒絶されるのがこわくて、否定されるのがおそろしくて、離れてしまいたくなくて、私は、」
恐怖を吐露するくちびるを半ばで、塞いだ。たった一瞬の触れ合いをたしかなものにしたくて離れる間際、小さく音を残す。
掴んだままの襟を今度はやさしく引き寄せ額を重ね合わせれば、ゼロ距離に迫った眸が不安と驚きを灯して揺れる。
「…私も、ね、こわかったの、傷つくことが」
彼女の言葉を継いで。相手の手で傷ついてしまうことがこわかった、それならみずから傷を負い心を隠す方がずっとずっと楽だった。結局はお互いに臆病なだけで、感情はいつも同じ色をしていたというのにそれにさえも気付けず、自分自身に刃を向けて。
堰を切ったように次から次へとあふれていく涙の中でだけどいまばかりははっきりとカルロッタの、くしゃりと歪んだその表情が眸に焼きつく。
「不器用、ね、私たちって」
「…そういうところばかり似ているのかしらね、私たちって」
すとん、と。かかとを下ろしても、額の熱は離れない、心は沈まない。
少しだけ背を屈めたカルロッタが両の手のひらで私の頬を包みこんで、くちづけをもう一度。やわらかさを、想いを、存在を、たしかめ合って。
目の前のくちびるがぎこちない──だけど私が焦がれてやまない笑みを浮かべた。
「すきよ、あなたのことが、他のだれよりも」
返す言葉はもう、決まっていた。
(もうおびえることも心を沈める必要もないのだと、)
不器用な彼女たちのはじまり。
2018.4.30