駆け抜ける想いのままただ、隣にいて。
『すきです、みずきさん』
こんなときにも私は、あの日寄せられた言葉を思い出していた。
まだ半年も経っていないはずなのに、随分と前の出来事のように感じてしまうのはきっと、今日まで矢のように時間が過ぎていったからかもしれない。それほどまでに怒涛のスケジュールだった。
***
私と楓ちゃん、ふたりだけのライブはこれが初めてだった。一緒に居酒屋をめぐったりお互いの家でお酒を飲み交わしながらも仕事上では共演機会の少なかった私たちは、いつかふたりでお仕事できたらいいわね、なんて言っていたけれど。まさかその初仕事が、デュエット曲を携えてのものだとは予想もしていなくて、プロデューサー君に話を聞いたときはなにかのドッキリかと疑ったものだ。
なんでも多くのファンが熱望してくれたとのことだけれど、既に用意されたチラシや仮歌を使って熱心に説明してくれたプロデューサー君も、なにかと取り計らってくれたのだろう。
『みずきさん、』
一通りの説明を聞き終え、次の現場へと向かうべく揃って退室して。
呼びかけに視線を向ければ、色の異なる眸をきらきらと輝かせた楓ちゃんが笑っていた。こんなにも子供みたいに無垢な表情を浮かべている彼女を、きっとはじめて見た。私もたぶん、人のことを指摘できないくらい頬を綻ばせているのだろうけれど。
いまの感情を表す言葉が見つからなかったのか、それとも先に身体が動いてしまったのか、がばりと思いきり抱きすくめられた。後ろへ傾いでいきそうになった体勢をなんとか堪え、同じく背中に両腕を回す。
『やったわね、楓ちゃん!』
私こそ適当な言葉が見当たらず、それでも言葉に想いをこめて喜びを表す。
ただただ単純に、うれしかった。楓ちゃんとふたりきりで仕事に取り組めることが、楓ちゃんがこんなにも喜んでくれていることが、こんなにも。もちろん誰と仕事をする時だって、新しい出会いや発見があり楽しいことばかりだけれど、それでも楓ちゃんは、楓ちゃんだけはなぜだか特別、感情があふれてしまって。
『すきです、みずきさん』
そうして彼女は落とした、
『想いがあふれて止まらないんです、みずきさん』
ただただまっすぐな、心を。
その時は言葉の真意を──たとえばどういった類の好きであるかを尋ねることも出来ず、それぞれの現場へと向かっていったのだけれど。あの日からずっと楓ちゃんの声が、耳から、頭から離れない。
ライブに向け、レッスンやラジオでの宣伝等、顔を合わせる時間は増えたものの、個人的な話をするほどの余裕はなくなってしまっていた。それに日が過ぎるにつれ今更問いただすことも憚られて、結局、どういう意味をこめていたのか訊けないまま。
***
そうして私たちはいま、ふたり揃って、ステージ袖に立っている。本番五分前。ここからでさえ、足を運んでくれた大勢のファンの熱気が伝わってくる。
『すきです、みずきさん』
だというのに私はまだ、言葉を、その意味を、ぐるぐると考えあぐねていた。
ふたりでの仕事が決まった喜びから出た言葉というだけなのかもしれない。言葉を重ねるのが苦手な楓ちゃんが見つけた最適なものがそれだったというだけなのかもしれない。けれど私には、それ以上の想いをこめたように思えてしまって。でも楓ちゃんからの接し方は変わらなくて。みずきさん、と、相も変わらずやさしい音で私の名前を紡いでくれるばかりで。
私はといえば、楓ちゃんとの付き合い方をすっかり見失ってしまっていた。だって私はきっと、それ以上の想いを寄せてしまっていたから。誤魔化して、見えないふりをしてきたけれどやっぱり、彼女のことがすきでたまらなかったから。彼女の言葉で、自覚せざるをえなくなってしまったから。
意識してからは、触れることはおろか、視線を合わすことさえ緊張してしまって。おそらく言葉以上の想いではない彼女に気取られてしまうのではと、そればかり。
ふ、と。思考を遮ったのは、手の甲に触れたひかえめな温度だった。隣に視線を送ってみれば、高い位置にあるたがい違いの眸に出逢う。ゆうらり、ともすれば泣き出してしまいそうに揺れているのも珍しい。おそるおそる甲をなぞる指先は、どうしようもないほど震えていて。あの高垣楓が、眸の色をにじませているだなんて、それはまるで。
──それはまるで、これまでの私みたいで。
眸を、閉じて。意を決して指先を絡めると、びくりと強張ってしまった。視線を重ねて、微笑んで、大丈夫よ、と。
「すきよ、楓ちゃん」
どうして気付くことができなかったのだろう。どうして誤魔化してきていたのだろう。私はこんなにも想いを抱えていたのに。こんなにも、楓ちゃんのことがすきだったのに。
「想いがあふれて止まらないのよ、楓ちゃん」
大きく開いた眸から、ぽろぽろ、大粒の涙がこぼれていく。せっかくのメイクが落ちちゃうわよと宥めるべきところだけれど、私だって視界がにじんで仕方がなくて。
おずおずと指が握りしめられる。たったそれだけの言葉で、私の想いを、心を、ぜんぶぜんぶ汲み取ってくれた楓ちゃんの眸が近付いて、私をとかしこんで。額が触れて、くちびるが重なって。
子供みたいなくちづけに、ふたりして微笑む。こんなにもあふれる感情を、はなから止められるはずもなかったのだ。
「──さあ、」
曲名がコールされる。会場がぶわりと湧く。ふたり、きつく手を握り合う。
「行きましょう、一緒に!」
(そうしてふたり、どこまでも)
そして離れないで、ずっと。
2017.4.19