あいしてやまないおねえさまへ。

「突っ立ってないでほら、」  華奢な指が伸びてくる。  広場から洩れ聞こえてくるワルツにくすぐられている姉は、手近な私をパートナーにしたくて仕方ないみたいだけれど、人間の紡ぐ音に身を委ねるなんてごめんよ。  私の嫌悪を感じ取っているはずの姉はそれでも手首をとらえ指を絡めて。 「それとも踊れないのかしら」  試すように笑んだパートナーの甲にくちづけを。 「誰が踊れないですって?」  合図とばかり、足がステップを刻み始めた。 (手の上なら尊敬) ***  ちゅ。思った以上に響いたリップ音に、目を丸めたのは額の持ち主。  いましがた私がくちびるをふれさせたその部分を両手で押さえ、疑問符をありありと覗かせている。  いつも嫌というほど─嫌だなんて思ったことはないけれど─私たちの額に降らせているくせに、いざ自分が返されると驚くだなんてまったく、かわいらしいひとだ。  ゆるむ口元を悟られないようもうひとつ、額を隠す手の甲へ。  びくりと震える、その仕草さえいとおしいのよ。 (額の上なら友情) ***  甘さが舌の上でとける。んん、今回も絶品。 「お口に合ったかしら」  作った本人の声には絶対の自信しか含まれていない。 「む、ふぉうふぇ、」 「少しは手を止めなさいよ」  次々と頬張りながら感想を口にするわたしの反応で出来を確信したのか、苦笑したお姉さま自身もシュトゥルーデルに手を伸ばす。  さくり。食欲のそそる音。 「ん、思ったよりりんごが甘い」  満足そうに綻ぶ目の前の口元に残る果肉を舌ですくい取る。 「ごちそうさま!」 (頬の上なら満足感) *** 「ええと、…そう、レモンの味がするのよ」  さまよう視線を隠すみたいに一口。  そんなので本当に誤魔化されると思っているんだろうか、このお姉さまは。  きっと体験したことなんてただの一度もないだろうに、見栄なのかなんなのか、それでも答えてくれる愚直さに頬がゆるむ。 「ふうん。本当かしら」 「ちょ、っと、こぼれ、」  口元から離そうとしないカップを無理に引き剥がし、くちびるを寄せる。  はじめてのキスはコーヒーの味がした。 (くちびるの上なら愛情) ***  停止した思考が戻ってきてくれない。  ええと。つまり。これは。  いつまで経っても経緯も結論も導き出せないものだから一度かたく目を閉じて。開いて。  鼻先が触れ合うその位置で、深海色の眸を隠す姉の姿。  穏やかな呼吸が肌をくすぐる。どうやら夢ではないらしい。  潜りこむベッドを間違えたのは私か、それとも姉の方か。答えの代わりに与えられるのは穏やかな寝息ばかり。  起きてしまわないようそ、と。くちづけたまぶたに願ったのは。 (閉じた目の上なら憧憬) ***  向けられた手のひらにしゅんとうな垂れてみせる。  久しぶりに一緒に湯船に浸かりたいというわたしの願いを一度は却下したお姉さまが、肩を落とすわたしにたじろいだ。  もういい大人なんだからとか、ふたりでは湯船が狭すぎるだとかそれらしい理由をつけているけど、揺れているのは目に見えてる。  まったく、昔からとてつもなく甘いんだから。もっともその甘さに遠慮なくつけこませてもらってるわけだけど。  ふいに落としたくちびるにびくりと震える身体。 「おねがい、お姉さま」  とどめの上目遣いで陥落するのはもうすぐ。 (てのひらの上なら懇願) ***  くすぐったいわとからから笑うそののどにふれる。  熱を持っているのはわたしか、それとも陽気にのどを震わせるそのひとか。  浮き出た鎖骨を、適度に引き締まった二の腕を、細い手首をくちびるでゆっくりとたどっていく。 「この程度で酔うなんて、まだまだ子供ねえ」  眸を細めるお姉さまこそ思考がゆるんでいるくせに、それにさえ気付かないだなんて。  ねえお姉さま、わたしがアルコールにおぼれたことがないってこと、知ってるかしら。 (腕と首なら欲望) ***  含んだ右足の親指がひくりと震える。輪郭を舌でなぞって、じゅ、とわざと音を立てて吸えば頭上から色を孕んだ吐息が落ちてきた。  捧げ持った足はそのまま、わずかに視線を持ち上げる。  右手で口を押さえる、その表情のなんと初心なこと。覗く頬が朱に染まりゆく様はこれまで目にしたことがなくて、けれど幾度も夢想したそれ。  私の肩に添えられた手はこれ以上の侵攻を阻むためか、それともよるべを探してか。前者だとしても、はっきりと拒絶できないことはわかっている。私の願いを、意思を無下にしたことは、これまで一度だってないのだから。  優しいお姉様、理想のお姉様、敬愛すべきお姉様。  くるぶしを、ふくらはぎを、太腿を。咎められないのをいいことに順にゆっくりとなぞっていく。恐らく無意識に立てられる爪。鋭い痛みに欲が沸き立つ。罪悪感が覆われていく。我慢などとうに限界を迎えている。 「…ねえ、」  だというのに、絞り出された声が最後の足掻きとばかりに私を留める。  ベッドの縁に腰かけ、私を見下ろすその眸は、波のように揺れていた。 「─…いいこだから、ね、お願い、」  震えるくちびるが繰り返す、おねがいだから、と。馬鹿なことはやめなさい、なのか、焦らさないでちょうだい、なのか。続く言葉は都合のいい方に解釈することにした。  肌と下着の境をきつく吸う。甘くこぼれる声。背筋に歓喜が走る。  ああいとおしい、乱したい、もっともっと。 「ごめんなさい、お姉様、」  色を濃くしたクロッチ部分をひたと舐める。もはや堪えることも忘れた音が降り注ぐ。  急く心のまま下着に手をかけて、 「──わるいこなの、私」  深海色に差す怯えと、その奥に光るわずかな期待を見逃さなかった。 (さてそのほかはみな狂気の沙汰)
 長女は間違いなく総受け。  2019.10.26