君からはじまる新たな日々へ。
風習は守るためにあるものであって、実行しなければ意味がないのである。
「理屈こねなくていい、から…っ」
腕の中から逃れようともがいている妻を羽交い締めにして、首元のにおいをすんすんと嗅ぐ。どうしてだか花のように広がるにおいを追いかければいつも彼女は、犬みたいですよ、などと笑うのだが、いまばかりは言葉をかけられる様子もなく、身体を硬くしてしまっていた。
鼻先で髪をかき分けていく、上へ、上へ、そのたびに抱きしめた彼女がふるり、震えて、余計に小さくなってしまう。
そんな仕草がかわいらしくてついつむじに口づけを落とせば、いい加減にしてくださいと少々尖った声が返されてしまった。どうやら彼女はえらくご立腹のようだが、なにせ夜も深まってきたために表情は窺えない、だから止めるに止められないのだ、うむ。
勝手とも取れる理由をつけて、今度は耳たぶへくちびるを触れさせる。わざと音を残せば、もう、とかわいらしい声が一つ、きっと頬をふくらませているのだろうが、かわいさが増すばかりなのを彼女は知らない。
「いい、加減にしないと…、」
「しないと、なんだい」
語尾を上げて先を促せば、彼女の動きは簡単に止まってしまう。ふて寝してしまうと言うのか、ベッドから出ると言うのか、それとも部屋を飛び出していくのか──選択肢を挙げ連ねて、さて、と。
「さっきから私は、抜け出せないほどの力をこめていないのだが」
「…ずるいです、あなたは」
止めの言葉を刺せば、ため息とともに力が抜けていってしまった。
すり寄るように抱きしめれば、深いため息が一つ、二つ、子供みたいな私にきっと彼女は呆れ返っているのだろうが、今回ばかりは諦めてほしい。こと彼女に関しては堪え性のない私が昨日丸一日我慢したのだから、それ相応のご褒美くらい欲しいのだ。
体勢を入れ替えて組み敷けば、僅かに覗いた月明かりが、思った通りふてくされている妻の表情を映し出す。あなたって人は、などと呟きながらも逃げる素振りさえ見せないのだから、彼女の素直でないやさしさに頬がゆるんでいく。
こつり、額を合わせて。色素の薄い眸が苦笑に変わって、私を閉じ込めた。
「本当に、仕方のない人」
「諦めついでに一つ、願いを聞き遂げてはくれないだろうか」
「あら、一つでいいんですか」
猫のように細まった意地の悪い眸に、けれど返事を一つ、首を振る。一日ぶりの彼女の髪を、指を、腕を、足を、においを、くちびるを前に、私が願うことはたったの一つだ。
「─…君に触れたい」
新たな年となって初めての願いを口にすれば、しばらく呆気に取られていた風の彼女はやがて目元を崩して、今更ね、と微笑んだ。
彼女にとって、そしてもちろん私にとってもなんとも今更なものではあるのだが、正直な願い事がそれなのだから仕方がない、つまるところ妻を、イデュナを愛しているのだから仕方がないのである。
返事は、そう催促すれば、再び額が重なって。愛する我が妻はいとも簡単に願いを叶えてくれた。
「──いいですよ」
(はじめようか、私のお姫様)
アグナルさんの我慢は一日が限度みたいです。
2015.1.3