きっと変わらない想いなんてないの。

 視線を外されることが多くなった。 「アグナ、」  ふい、と。また。ちらりと向いてもくれず、そのまま付き従う大臣とともに歩き去ってしまった。単に忙しいだけなのかもしれない、なんて希望を抱いてみても、心は沈んでいくばかり、伸ばしていた手も行き場をなくして力なく落ちて。  いつもならどんな場合だろうと、すれ違えば顔を綻ばせて、名前を呼べば立ち止まってくれていたのに。透き通ったその眸にわたしを映してくれていたのに、像さえも残らなくて。  嫌われてしまったのだろうか、と。行き着くのは短絡的な結論。けれど彼は理由もなく人を遠ざけるような性格ではない、ならば一体なぜ。ここ最近ずっと考えてはいるけれど心当たりがどうにもなくて。思い切って声をかけてみれば最後まで紡ぐことも許されなかった。  夫だけじゃない、ふたりの娘たちも同様だった。それまで仲良く遊んでいたかと思えば、わたしが近付くと急にそわそわと落ち着きをなくしてしまう。口を開きかけたアナをエルサが諌めるなんて場面もしばしば見られるものだからなにかがないわけがない。だというのにこっちの見当もまったく付かなくて、途方に暮れるばかりの日が過ぎていく。  もしかしなくても本当に嫌われてしまったのかもしれない、夫ばかりか子供たちにまで。なにか自分が気付かないうちになにかを犯してしまって、視線さえも交わしてくれなくなって。  別の女性に好意を移されたと言われても、いまならそんなに驚かないかもしれない。  そんな子供みたいな理由ばかりが上っていって、ついには視界がにじみ始めてしまった。いけない、こんな場所で泣いていたら心配をかけてしまうのに。アグナルなんてきっとすぐに駆け寄ってきて、わたしよりも狼狽えて、 「─…ぁ…っ、」  雫が、止まらなかった。駆け寄ってくれる人も、嗚咽に応えてくれる人もいないという事実に。いつの間にかひとりぼっちになってしまった寂しさに。娘たちの名前を呼んでみても、夫の背中を追いかけてみても、わたしには遠すぎて、 「あれ? なんでママないてるの?」  ひょこり、視界に見覚えのある薄氷色が映った。  またたきを一つ、涙が流れていったおかげではっきりと見えた、わたしを覗き込む小さな姿が二つ。わたしを避けていたはずの子供たちがどうしてだか目の前に立っていて、エルサは心配そうに、アナはどうにかわたしに近付こうとしているのかぐらぐら揺れながらも爪先立ちしていた。  やがて、ぽん、と。手を鳴らしたのは妹の方。 「もしかしてパパ、失敗しちゃったのかも」 「失敗、って、なにを」 「もしかしたらまだ言ってないのかもしれないわ。パパって肝心なときにはずかしがっちゃうんですもの」 「ねえ、ママにもわかるように言ってちょうだい」  わたしを置いて会話してなぜだか納得し合っているふたりに割って入れば、仕方ないなあ、なんて。ついたため息の宛先はきっと彼女たちのパパへ。  右手をアナ、左手をエルサに取られ、促されるまま小走りに廊下を進む。顔さえまともに合わせてくれなかった娘がなぜ突然現れたのか、一体なんの話をしていたのか、どこへ連れて行かれるのか。数ある疑問なんてどこかへ消えて、いまはただ、手を引くふたりが楽しそうにくすくす洩らしているから、もうちょっとだよとわたしに笑顔を向けてくれているから。それだけ、ただそれだけでいいの。  とてとてと、ふたり分のかわいらしい足音が急停止して、庭先へと続く扉の前でくるりと振り返る。きらきらと光る娘たちの眸に押され扉を開いて、差し込んできた陽に目をすがめて、  ──出迎えてくれたのは目に鮮やかな色たちだった。  色とりどりの、かたちも様々な花が庭いっぱいに広がっている光景が現実のものに思えなくてまたたきを繰り返すけど、視界を開くたびそこに変わらず存在していて。  服の裾を引っ張ってきたのはアナ、呆気に取られたままの表情を向ければ、にか、と。いたずらっ子みたいな笑顔を一つ。 「おはな。きれいでしょ!」 「パパがね、今日はママの日だって言ってたから」  エルサがどこか得意げに内容を打ち明けていく、曰く、ママにサプライズしたくてないしょにしてたの、パパはすぐ顔にでちゃうからママを見つめちゃだめって言ったの、準備できたからママよんできてってたのんだのに、等々。後半は父親に対する不満ばかりだったけれど。  件のパパはどこにいるのかと探してみれば、視線のはるか先、花に埋もれるようにして佇んでいた。こちらを背にして立っているけれど、わたしが来ていることはきっと知っているはず。たぶんバツが悪くて振り向けないのね、そんな心情を思えばこみ上げる笑みを抑えることなんて無理だった。 「ね、ね、びっくりした?」 「喜んでもらえた?」 「ええ、もちろんよ。ありがとう、アナ、エルサ」  見つめてくる娘にありったけの笑顔を返して。やったあとふたりして喜ぶ姿を収めつつ、庭の奥へと進んでいく。咲き誇る花はわたしが好きだと言ったものばかり。一つ一つをちゃんと覚えてくれていたことが泣いてしまいそうなくらい嬉しくて。  ふ、と。香った花につられたのか、ようやく背中が振り返る。周りの花に負けないくらいに頬を朱に染めて、若干気恥ずかしそうに視線を下へ。 「あー、その、…こんな日にかこつけないと言葉一つ言えない私を許してくれ」  前置きを一つ、こほんとわざとらしく咳払いをしておもむろに後ろ手にあったそれを差し出された。薄い桃色のかわいらしいそれがなんとも不釣合いで思わずゆるんでしまいそうになる口元を押さえる。  まぶたを、閉じて。意を決したように開かれたどこまでも澄んだそれが、わたしを映す。 「イデュナ、」  耳に馴染んだ名前の後に紡がれた五文字を聞き終わるのが先か、首に抱き付いたのが先か。きっとわたしの方が早かったのだろうけれど。 (わたしも、あいしています)
 ママへのサプライズ。  2015.4.16