愛の下に。

「ママ!」  とてとて、なんて形容詞がよく似合う足音を響かせて、拙い声が背中に降ってきた。首だけを巡らせてみれば、思った通り、まだ二歳になって間もない娘が息を切らせて走り寄ってきたところだった。  わたしの前で急停止、荒げた呼吸を整えることもせず、紅潮した頬をそのままにはい、と。いままで後ろ手に隠していたそれを差し出してくる。淡い光さえ放つそれは花、だろうか、かたちは似ているけれど、色はエルサの眸と同じ氷色だし、第一発光するはずがない。  そんなわたしの疑問を汲み取った娘はにこり、太陽を思わせるくらいの笑みを浮かべた。 「エルサがね、つくったの! いもうとに!」  つくった、とは、きっと言葉通りの意味。生まれついて宿っている力を、この小さな娘は自由自在に使いこなすことができるから。それは決して自分のためばかりではなくて、たとえばわたしや自身の父親を笑顔にさせたいがため、そうしてたとえば今回のように、まだ見ぬ妹を喜ばせるために。 「ありがとう、エルサ。この子もきっと喜ぶわ」  くしゃくしゃと頭を撫でれば、まぶたを閉じて嬉しそうに眉を下げる、この子の癖。  氷の花を受け取れば、ひし、と。潰れてしまうとでも思っているのかやさしく、僅かに大きくなってきたおなかにしがみ付いてくる。小さな鼓動に耳を澄ませるみたいに眸を閉ざして、息を吸って。 「この子の名前。もう考えた?」 「んー…もうちょっとかんがえる。パパといっしょに」  間を置きながらもそう答えたエルサは、ぱっと離れると、パパさがしてくる、なんて元気な声を残して来た時と同じようにとてとて走り去っていってしまった。  子供というのはどうしてあんなに元気がいいのかしら。幾分年老いてしまった考えを持ちつつ、ロッキングチェアに身体を預けて氷の花を光に透かす。透明なそれは日光さえもまっすぐに透過させてわたしの目を眩ませようとしていた。本当に、よくできている。  あの子の力がどこまで効果を持つのかはわからないけれど、どうか妹が生まれるまではかたちを保っていますようにと、手近な花瓶にそっと差して。 「そろそろ出てきたらどう?」 「─…なんで分かったんだ」  なんでもなにも、そんな大きな身体が植木鉢の影に隠れられるはずもないのに。幸いあの子は気付いていなかったみたいだけれど、わたしが気付かないわけがなかった。  眉を下げてなんとも不服そうに出てきた夫の表情がおかしくてこみ上げてきた笑いを噛み締めたけれど、どうやら噛み切れなかったみたいで眉はますます下がっていく。 「もう。機嫌直してちょうだい」 「…別に、拗ねてなどいない」  ほら、拗ねてる。  きっと自分では気付いていないだろうこの国の主を手招きすれば、大人しく寄ってきて目の前にしゃがみ込み、さっきエルサがしていたのと同じように背中に腕を回してくる。  当然だけれど娘とは違う、広い腕に抱かれて、眠る前のまどろみみたいなほっとするあたたかさに包まれた。たしかにわたしの夫なのだと、そしてこれから二児の父になろうとしているのだと、そんなものが伝わってくるみたいに。  とくとく、彼の心臓に呼応しているのがわかる。おなかの中にいるこの子もきっと同じことを感じているのだろう、リズムが少しだけ早まって。 「どうして隠れたりなんてするんですか」 「見られたくはないだろう、こんなところ。まるで子供みたいだ」 「わかっているじゃないですか」 「どうせ私は子供だ」  拗ねた口調とは裏腹に、穏やかに眸を閉ざしている。  いいえ、あなたは立派な大人よ、だってこんなにもわたしを、わたしたちを慈しんで、愛してくれているのだもの、なんて。もう少しこのままでいたいから、そんなこと言わないけれど。 「そういえばこの子の名前。あなたは考えました?」 「んー…もう少し考えるよ。エルサと一緒に」  別に真似をしているわけでもないだろうに、その口調がまるでエルサみたいで、堪え切れずについ笑みが上ってしまう。  きっとこの子もあなたに似るんでしょうね。呟けば、ようやく顔を上げたアグナルがゆるり、微笑んで。 「君にも似ているさ、絶対」  同意を示すみたいに、花瓶の中で氷色が淡く光った。 (きっとあなたに似て愛をたくさん持っていて、わたしに似て天真爛漫なのね)
 ひまわりの子が生まれる前。  2015.5.25