景色に浮かぶ、想いをとかす。

 フィヨルドを越えた先にある山から見はるかすこの景色が、わたしは二番目に好き。  海に囲まれたアレンデールを見渡すのに絶好の場所であるこの山は、冬こそ深い雪や氷に包まれるけれど、夏になれば白い景色は姿を消して、眩いばかりの緑で覆い尽くされる。鳥のさえずりに合わせて足取りを弾ませ、ここに腰を落ち着けることが、わたしの趣味であり日課だった。  視線のはるか遠く、荘厳な城で今頃、あの人は勉学に励んでいる。 「──やっと追い付いた」  はずなのに。今日も山に登ろうとしたわたしに勉強もなにもかもを放り投げて付いてきたのだ、この人は。  隣に腰を下ろした彼にため息を一つ、これで何度目だろう。道中何度も城に戻って真面目に授業を受けてと言ったのに、今日は君と一緒にいたい気分なんだの一点張り。気分で授業を放棄するかしないか決めてしまう王子はいかがなものだろうか。 「まだ、怒っているのか」  機嫌を窺う子犬のように顔を覗き込んでくるアグナルの眸から逃れる。 「大丈夫、上手く撒いてきたから」  そういう話じゃなくて。  わたしなんかのためになにかを─特に国に関わることを─犠牲にしてほしくなかった。いずれはこの国を背負う彼の重みになりたくはなかった。たとえそれが彼の意思だとしても。  そんなわたしの気持ちなんてまったく知らずに伸びをした彼は呑気に欠伸さえ覗かせてみせる。 「それにしてもいい陽気だ。眠くなってしまうよ」 「眠くなる前にお帰りになられたらいかがでしょう」 「寝るために?」 「お勉強するために」 「睡眠学習でいいなら」 「いいわけないでしょ!」  つい語気を強めるわたしに苦笑が返される、それだけ、たったそれだけで勢いが削がれてしまうのはなぜだろうか、常々不思議に思っていた。彼の天性の才なのか、それとも単にわたしが彼に惹かれているだけなのか、きっと後者の方が強いのだろうけれど。  応じる言葉が見つからなくて代わりにふくれてみせれば、だって、と。顔に似合わず─と言ったら失礼だけれど─子供みたいな調子で言い訳する。 「勉強はいつだってできる。だが、君と見られる景色は今日限りだ」  ──訂正しよう。わたしは彼に惹かれているのだ、どうしようもなく。なによりもわたしを優先してくれることが嬉しいのだ、愚かなほどに。想いを抱いてしまう時点で彼の重荷になることはわかっているのに、それでも向けてしまうのだ、きっとわたしと同じ想いを抱えてくれている、彼に。  ふ、と。はじめて視線が重なる。  少年のようにきらめく眸に魅入られてしまったのだ、きっと。この眸に映る景色を一緒に見つめたいと思ってしまったのだ、わたしは。だからわたしは、 「─…仕方のない人」  続けそうになった言葉をたったの一言に留めて、目線をまた前に戻す。人の、特に女性の心の機微に疎い彼も消えていったそれを察してくれたみたいで、静かにわたしの目線を辿っていく。王子不在の城はとても、とても美しく映った。  そういえば、と。同様に自身の家を見つめていた彼は、思い出したように口を開く。 「どうしてこの景色が二番目なんだ」  私が今まで見てきた景色の中で一番だと思うのだが、と。以前、これは二番目なのだと洩らしたことを覚えてくれていたのだろう、そんな些細なことにさえ気分が弾んで。  だって、と。まっすぐに眸を見据えて。 「あなたと一緒に見る景色が一番に決まっているもの」  言い終わるよりも先に汲み取ってくれたわたしの王子様はそ、と。言葉を呑み込んでいった。 (あなたと見られるのならどんな景色だって素敵だわ、きっと)
 ふたりだけの秘密の景色。  2015.5.26