おあずけなんてできないわ、
「す、ストップ、ストップ!」
不服そうにふくれた子供みたいな頬をはたきたいと思ったのはこれが初めてではない。
いまだ国王見習いという身分である彼は、それでも勉強の合間にもう公務を行っているらしく、先日もどこぞの国を視察するため海を越えていってしまった。その期間、約三か月。帰国したら君との時間を優先するよと眉を下げて微笑んでくれた彼に、約束よと涙ながらに指を切った、たしかにそうだ、一緒にいてほしいと契りを結んだのはわたしの方、だけれども。
必死に胸板を押すのにわたしの力では到底動きそうもない。こんなところで彼が立派な男性だってことを痛感しなくたっていいのに。
逃がすまいとさらにきつく抱きしめてくるものだから抵抗を諦めて顔を埋める。
「やっと素直になってくれたのかい?」
「顔を隠しているだけです」
「何故」
「恥ずかしいからに決まってるじゃないですか」
「そして何故敬語なんだ」
「公衆の面前だからに決まってるじゃないですかっ」
そう、ここは往来のど真ん中。橋のたもとで三か月ぶりの再会を果たした途端抱きしめられ、あろうことか顔を近付けてきたものだからこうして全力で抵抗していたというわけで。
だというのに彼は人目なんて気にしないのか、そもそも周りの人なんてまったく見えていないのか、口づけこそ断念したものの離そうとはしてくれなかった。
彼は一応─と言ったら失礼なのかもしれないけれど─この国の王子である。いくら軽装だからといって気付くものは気付くし、現に通り過ぎていく人のほとんどが振り返っては国王陛下のご子息様だとかなんとか呟いて会釈していく、微笑ましそうに。
そんな中で一介の国民であるわたしがずっと腕に抱き留められているという心境を察してほしい。
あってはならないのだ、本当に。身分違いも甚だしい恋は密やかに交わされるべきであるのに、来るその時まで隠していた方がいいはずなのに。
なのにこの人は隠すなんて考えも思いつかないみたいにわたしを抱きしめている、会いたかったと安堵の息を洩らしてくれる。わたしといるだけで自分の不利益となることばかりだというのに、そんなものは一切気にすることなく。
押していた手を留めて、ようやく襟元にしがみつく。久しぶりに香る彼のにおい。
「…わたしも」
『王子、白昼堂々の逢瀬』なんて見出しを想像しただけで目の前が暗くなりそうだけど。それでもわたしのことを一番に想ってくれていることがこんなにも嬉しいから、それだけで心がときめいてしまうただの幼い少女だから。
そ、と。顔を離せば、笑顔の彼と視線が絡む。背中に回されていた手がゆるり、わたしの指をさらっていって。
「今日は一日、君といたい」
「あら、今日一日だけですか」
「もちろん今日も明日も、明後日もだ」
子供みたいな言葉をこぼす彼に歩調を合わせて、足を進め始めた。
「ところで口づけは、」
「しませんっ、…後で、ね」
(だって我慢できないから、わたしも)
どうやらアグナルさんには自重というものがないらしい。
2015.5.30