甘すぎるんですよ、きっと。
ずるい人だわ、
「イデュナ?」
語尾を上げて呼んだ名前は娘たちの前では決して現さない甘さを多分に含んでいて。長いこと耳にしていなかったその音にそわそわと足先から首筋へとなにかが上ってくる。不快とは程遠いその感情がすぐに激情へと変わっていくことをわたしは知っている。
これ以上体温が上がってしまう前に本当に眠ってしまわないと、そうは思うのに、一度冴えてしまった身体は視界を閉ざしていても熱を下げてくれることはなかった。
頬に指先が触れてくる。僅かに潤っているのはお風呂にでも入ってきたからだろうか、そういえばさっき部屋を後にする時、煙の臭いを消してくるとかなんとか呟いていた気がする、それはもう意気消沈した様子で。臭いが消えるまでおやすみのキスはしませんときっぱり言ったことが効いたのだろうか。
葉巻の臭いは嫌いだった。
鼻につくというのももちろん原因だけれど、それよりも彼のにおいがすべて覆われてしまうから。わたしの大好きなにおいが上書きされて、知らない彼のそれになってしまうから。なぜだか知らない人になってしまったようで、それがすごく、こわかったから。
けれどわたしの言葉がそんなにショックだったのだろうか、こんなに早く帰ってくるだなんて。彼がベッドに戻ってくるころにはわたしは夢の中にいるはずだったのに。
「寝ているのかい?」
耳元に熱い吐息が降ってくる、その口元がゆるめられていることくらい、目を開けなくたってわかっていた。知っているのだ、きっと、わたしの意識がまだ覚醒していることを。知っていて気付かないふりをしているのだから意地が悪い。
雫が頬を伝ってくる。お風呂から上がったらすぐ拭かないと風邪を引くからと何度も口を酸っぱくしているのに、また濡れた髪をそのままにやって来たみたいだ。冷たい水滴が蒸発してしまいそうだった、顔が、頬が、熱を持ちすぎていたから。
抵抗しない、声もあげないのを良いことに、もう片方の手がするりと寝間着の中に滑り込んできた。撫でるように、掠めるように、決して強くは触れてこないくせに熱ばかり与えてくる。
もどかしい動きにそわそわと、なにかがまた掻き立てられて、激情が顔を見せて。
「──本当にしてくれないのか、」
彼の言葉が先か、わたしが襟を掴んだのが先か。判断する前に、くちびるを重ねていた。
(ずるい人だわ、ほんとうに)
砂糖よりもあまいのはきっとわたしのほう、
2015.8.20