君と沈む、
まぶたを開いて最初に飛び込んできた亜麻色に思考が追い付いてこなかった。
「──……っイ、」
イデュナ、と。名前を紡ぎかけた口を慌てて押さえる。隣で眠る妻は幸いにも音を拾わなかったようで、夢の世界に浸ったまま。
妻、そう、妻。慣れない呼称に、口の端にのぼる笑みまでは抑えきれない。
イデュナがいまのこの表情を見たなら気持ち悪いわよなどと無残にも一蹴されそうだが、そんな彼女は眸を閉じてしまっている。整ったまつげを伏せて、色素の薄い眸を隠して。澄んだあの色が窺えないのは少し寂しい気もするが、代わりに無防備な表情を見つめることができるのだ、イデュナが起き出すまでは、このかわいらしい寝顔を独占できるのだから、良しとしよう。
繋いだ左手をそ、と。握りしめれば、硬い指輪の感触。揃いのそれは彼女と私の体温でぬくもりを持っているようだった。高価な石一つはめていない質素なそれは、けれど彼女が身につけるだけで輝いて見える。
指輪を渡して、そうして彼女と結ばれるまでに一体どれだけの時間を過ごしてきただろうか。本題を切り出せず適当な話題を持ち出す私と、花ばかりを愛する鈍感な彼女は、なかなかに遠回りをしてきたはずだ。だがそんな日々でさえ、いとおしく感じるほどには、イデュナを愛しているのだろう、私は。
頬に手を伸ばせば、彼女の口元がふにゃりとゆるむ。起きているのか、それとも幸せな夢でも見ているのか。後者ならばどうか、その中に私がいるように、などと随分女々しいことを願って。
「──イデュナ、」
あいしてる、小さく音にした想いをこめて唇を寄せて、
「国王!王妃!そろそろ起床なさってください!!」
触れる直前、扉を打ち鳴らす無粋な音が空気を裂いた。焦りの窺えるこの声はおそらくカイだろう。
確かに起床時間はとっくの昔に訪れているが、今朝は早急に片付けなければならない案件はなかったはずだ、もう少しふたりの時間を過ごさせてくれてもいいものを。空気が読めないとはこのことか。
なおも叩かれ続ける音から逃れるため、シーツに頭からくるまる。薄暗がりの中で、腕の中に抱き留めたイデュナのまつげが震え、ついでかわいらしい欠伸を一つ。何度かまたたきをした後、眸にようやく私を映す。
先ほどの続きをと、そっと顔を近付けて、
「ああ大変!」
イデュナが器用にも腕をかいくぐりシーツから抜け出したものだから、残された私はベッドと仲良く顔を合わせることとなった。続いてシーツから顔を出せば、彼女はきっちりと身支度を整えていた。少し、いやかなり早すぎはしないだろうか。
いまだベッドの上で呆然とする私をよそに、扉の向こうのカイに向けて今向かいますと声をかけたイデュナは、私の衣服をベッドに放り投げた。
「あなたもほら、早く支度をしてください!」
「だ、だが、もう少し余韻を楽しんでも、」
「なにを言っているんですか!今日は隣国の公爵が祝辞にと来られるのでしょう!?」
ああ、そういえば。いつぞやかの曖昧な約束を思い出しため息を一つ。もう少し先でいいと言ったのに、まったくお節介が過ぎるのだ、あの公爵は。
仕方なくベッドの縁に腰を下ろし、身支度を始める。
あっという間に髪をまとめ上げてしまったイデュナは目の前で屈みこみ、あちらこちらと跳ねた私の髪を整え始めた。もう、なんてわがままな髪かしら。拗ねたようにこぼされた言葉が、それでも優しく触れてくる指が、呆れたような表情さえいとおしくて、笑みがまた自然、浮き上がってくる。なんて、なんて幸せな朝だろう。彼女とともに迎える朝はなんて幸せに満ちているのだろう。
「ねえアグナル、タイを──きゃっ、」
細腰に抱き付いてそのままベッドになだれ込む。抜け出そうと抵抗する彼女の額に、耳元に、頬に口づけを落としていけば、ようやく眉間のしわをゆるめて、仕方のない人、と諦めたように笑ってくれた。そんな微笑みがただひとり私だけに向けられているという事実に心が震える。
これ以上ないくらいにあふれる想いに溺れてしまいそうだ。息が苦しくなっても、彼女とならばどこへでも沈んでいける、そんな気持ちを、腕の中で笑っている彼女も感じてくれたらと切に願うばかり。
頬に手を添えて。眸を隠した彼女の色づいたくちびるに自身のそれをそっと寄せて、
「国王! 公爵の船がお見えになりましたよ!」
だからカイ、空気を読めと言っているのだ。
(何よりも幸せだった朝に)
ふたりで迎えるはじめての朝。
2014.6.16