たとえばの話をしようか。

「………はあ」  ひとしきり間を置いて小首を傾げて。私の問いにたっぷりと頭を悩ませたらしい彼女は結果として返事ともため息ともつかない声を洩らした。  もしかして、もしかしなくても、だ。彼女は気付いていないのだろうか、私がこの国の王子だということに、次期王位継承者だという事実に。自ら身分を明かしたことはなかったが、それでも何かしら感付いてはいるのではないのかと思っていたのに。  いよいよ戴冠式も間近ということもあって、国の行事にはなるべく参列してきた。国民の前で何度も姿を現してきた。もっと言えば彼女と街中を歩いている時だって私を見つけて深々と頭を垂れる者も少なくなかったというのに、もしかしてそのどれにも気付くことなく今日まで付き合ってきたというのだろうか。それとももしや私には王族としてのオーラだとか威厳だとかそういったものが薄いのか、そうだとしたら自身の振る舞いを見直さなければならないことになるのだが。 「…あなたが王子、だとして」  頭を抱える私に振ってきた言葉に顔を上げれば、眉間に僅かばかりしわを寄せた彼女がゆっくりと文章を取り出す、先ほどの問いを繰り返すように。 「それでも、わたしたちの関係は変わることはないのだと」  そう、思いたいです。  言葉は祈りのように、視線は乞うように。頭一つ分ほど下の澄んだ眸がまっすぐ私を映す。或いは恐れていたのだ、私は。素性を知られた途端距離を置かれてしまうのではないかと、身分の差を考えた彼女が離れていってしまうのではないかと。信用していないわけではない、だが夢を見るにはあまりにも現実を知り過ぎていたのだ。  膝を突く、その行為を最初こそ驚いていた彼女はしかしもう慣れたように、だが照れくさそうに片手を差し出してくれた。恭しく受け取り誓うのはいつも心の底にある言葉。 「私の愛も変わることはないよ」  手の甲にくちづけを落として。けれど共に生きようというその誓いは口を突くことはなかった。私はまだ、夢を信じきれはしなかったから。 (まだ夢を見ていたかったから)
 イデュナさんはアグナルさんが王族ってことに気付いてなければいい。  2015.10.1