全部覚えているよ、君とのことはすべて。
天使が発する声はきっとこんな音をしているのだろう。生憎と天使にお会いしたことはないが、それでも目に見えぬ存在に酷似しているのではと錯覚しているほど、それは現実ではないように響いた。
言葉を返さなかったことを訝しんだのか、首を傾げてまたたきを一つ、そんな仕草さえ愛らしい。こんなにもすべてをいとおしく思えてしまう人はこれで二人目だった。一人目は言わずもがな目の前の少女の母親であり、そうしてその血をしっかりと受け継いでいる娘を愛せないわけがなかった。もちろん私の遺伝子も引き継いでいるはずなのだが、いまのところその面影は見えない。妻曰く、あなたたちそっくりよ、と微笑むけれど。
あなた、返事してあげて。
やさしく落とされた妻の声に口を開くも、しかしまだ音を取り出せずにいた。どう応えればいいのか、どうやってこの湧き上がる喜びを表現すればいいのか。私にはまだ、わからなくて。
にこり、娘が笑った、その表情までも天使のそれと重なって。
「ぱぁぱ」
同じ言葉をもう一度。繰り返されたはずだったのに、また違った響きを持って届いてきて。
視界がかすんでいく、嬉しさで、娘の口から初めて発された呼称に自然と流れてしまったそれが世界を歪ませていく。それでも今度こそはこの想いを伝えなくてはと、一度、引き結んだくちびるをといて紡いだ。
「─…そうだよ、パパだよ、エルサ」
(君が生まれてはじめて呼んでくれた日)
君が生まれてはじめて、私を認めてくれた日だから。
2015.12.22