はじめては全部、あなたに。

 視線を重ねるのは気恥ずかしいから視界を閉ざして。行き場をなくした指でとりあえず彼の服の裾を掴んで。頬に添えられた、わたしのものよりもずっと大きな手に任せて顔を上向かせる。  落ち着きなく呼吸を繰り返す彼は果たしてどんな表情を浮かべているのか。きっと困ったように眉を下げて、どうしていいのかわからずただ眸をさまよわせているのだろうけれど。  ありありと想像できる姿を微笑ましく思えるほどの余裕なんてもちろんわたしにもなくて。  指の震えを悟られないよう、さらに力をこめる。どうか気付かれませんように、怖がっているのだと勘違いしてしまいませんように。  やさしい彼はとても臆病だから。どうにかわたしが傷つかないようにと、そればかりを願っていつも遠回りしてしまう人だから。だからどうか今ばかりは身を引いてしまわないで、手を離してしまわないで。そうしてそのまま息さえも奪い去ってほしい、なんて。上がっていく熱にまともな思考がとかされて、そんな甘やかな想いばかりが残っていく。  早く、早くきてくれないとわたし、とけてしまいそうよ。けれどねだるようなはしたない真似ができるはずもなくて。 「──…イデュナ」  名前を、一つ。間近に落とされたそれに背中が震える。眸を閉ざす前よりもずっとずっと近い声はまるで合図のようでもあって。  熱い息がかかる。  心臓はもうすぐ飛び出してしまうのではないかというほど跳ねて、 「…やっぱりやめよう」 「………え、」  予想外の言葉に思わず目を開けば、ばつが悪そうにそっぽを向いたアグナルの姿。わたしを視界に収めまいとするかのように、どこか遠くを見てしまっている。 「君のはじめてをもらうのに、その、私は相応しくないと思うんだ」 「…な、」  なにを今更、なんて言葉をため息と一緒に洩らす。呆れて反論する気にもなれなかった。  ここまで期待させておいて、ここまであなたを好きにならせておいて今更やめよう、だなんて。わたしはあなた以外に捧げるつもりはないのに、これからのはじめては全部あなたにもらってもらうと決めたのに。 「もうっ」  言葉にするのもまどろっこしくて、どこまでも気弱な彼の頬を挟み込む。途端にうろうろとさまよい始めた視線を捉えて、ぐっと背伸びを一つ、かたく閉ざされたくちびるに口づけを。  触れていたのはほんの一瞬。  踵を地面に下ろせば、顔中真っ赤に染めた彼が鮮やかに映りこんで、ようやく笑みをこぼした。きっとわたしも、彼に負けず劣らずだろうけれど。 「ね、アグナル。わかってもらえましたか」  つまりわたしは、あなたのことしか考えられないということ。 (これからの人生すべて)
 うまれてはじめてのくちづけ。  2014.7.29