一から十に至るまで、

 はじめましてでもなんでもないはずなのに、まさか頬を染められてしまうとは思ってもみなかった。まだなにも触れていないのに、もっと言えば視線があったばかりなのに。  名前さえ呼ばせる暇もなくふいと眸を逸らした彼は吹けもしない口笛に挑戦して、けれどやっぱりただ掠れた息の音が洩れるばかりだった。 「アグナル、」  両手を腰に据え名前を放り投げる。大袈裟なほど跳ねた肩につきたいため息を堪え、視線の中心に回り込んだ。うろたえた眸が行き場をなくして右を見たりわたしを通り過ぎて左を見たり。 「…子供じゃあるまいし」 「子供だったらしないだろう、こんなこと」  思わずこぼしてしまった文句をさすがに聞き咎めたのか、それまで染めていた頬をわずかばかりにふくらませわたしを浅葱色の眸に映す。企みはどうやら大成功したようだ、子供みたいにふて腐れている彼はきっと気付いてなんていないだろうけれど。  笑みをなんとか押し留め、とりあえず言い分を聞くべく、じゃあなんで、と。声ばかりは呆れ果てた口調で。 「その。こういうことには、心の準備というものが必要だから」 「わたしの準備は万端だって、さっきから言ってるのに」 「私の準備が不十分だと、先ほどから言っているんだ」  少し拗ねた風にしてみたって、煮え切らない彼は言葉を募らせる。まず深呼吸して、お互いの意思を確認し、深呼吸、手を繋ぎ指を絡め、深呼吸して──彼の心が落ち着くのを待っていたらおばあさんになってしまいそうだ。  順序立てた通り呼吸を整え始めた彼の両頬を押さえ無理やりに屈めさせる。きつい姿勢なのか、眉を寄せた彼に向けているのは一体どんな表情なんだろう。 「準備はよろしくて?」  きっとこの重なったくちびるのようにとろけたものなのだろうけれど。 (一つ一つなんて踏んでられない、だってもう充分に待ったんだもの)
 若いころはきっと初々しいはず。  2016.1.15