夢から覚めた眠り姫。

 ああもう、最悪だわ。  持てるすべての悪態をついてみたって、届けたいその人は痛くも痒くもないことくらいわかっている、だって聞こえているはずないんだもの。最も悪だとまでなじった彼はいまごろ、わたしなんかよりはるかに麗しくてお行儀のいい貴婦人方とティーパーティーでもしているでしょうから。  始まりはわたしのわがままだった、その点についてはもう十分に反省している。  夢見が悪かったのだ。夫と離ればなれになってしまう夢。暗い海の底深くに落ちていく、夢。時折見るそれを夢と呼ぶにはあまりに生々しかった。そうしていつも大粒の涙を流しながら目覚めれば、心配した彼がなにも言わず腕に抱き留めてくれる、わたしの鼓動が落ち着くまで呼吸を合わせてくれる、そうであったはずなのに。  今朝も声にならない叫びに身体を起こせば彼の姿が隣になく。もしや夢が現実になってしまったのかと見渡してみれば、すでに身支度を整えていた国王が首を傾げていた、どうした、とでも問うように。思考が追い付いてこなくてただ喘ぐわたしにわずかに眉を寄せた彼はけれど、もう行かなくてはと。  そういえば各国の首脳夫人を招いてのお茶会を開催するのだと、以前に言っていた。わざわざあなたが出席しなくてもと、ようやく本来の機能を取り戻しつつある口がたどたどしく非難して。主催者は出席しなければいけないことくらい、考えなくともわかることなのに。彼はますます眉を寄せる、心底困り果てた風に。  気分が優れないみたいだから君は欠席してくれと、返ってきたのは随分と的外れな言葉。そんなものが欲しいわけじゃない、いま与えられたいのは、そんな言葉じゃなかったのに。早く出ていってと、シーツを被って拒絶を表した。痛いほどの沈黙の後、抱きしめることも口づけを交わすこともないまま、彼は出ていってしまったけれど。  思い返してみてもわたしにしか非がない。けれどどうしても責めてしまうのだ、もう一言欲しかったと、ぬくもりを残してほしいと。 「…こんなにもわがままな女だったのかしら、わたし」  問いかけてみたって、頭上の戦乙女が答えをくれるはずもなくて。  息を一つ。ずっと寝室にいては、もしかすると戻ってきてくれるかもしれないなんて身勝手な期待を抱いてしまうから、きっと見つからないであろう絵画室に逃げ込んだはいいものの、見慣れた絵たちが変わらずそこに飾られているだけでなにも慰めてはくれなかった。  ごろり、カウチで寝返りを打って、 「ママ、どこかいたいの?」 「っ、エルサ、どうして」 「かくれんぼしてるの?」  ぱちり、氷色と目が合った。色の持ち主である長女はつい朝方見た誰かと同じように眉に心配をありありと乗せて。  足を放り出している方角から響いた無邪気な妹の声に視線を落とせば、肘置きを乗り越えよいしょとわたしの身体にのしかかってきているところだった。軽やかな重みが足からおなかへと徐々に上がってきて、ついには胸元にたどり着き、えへへと笑う。 「こら、アナ!おりないと!」 「平気よ、エルサ。軽いもの」 「でもママ、体調わるそう」 「大丈夫よ、どこも悪くないの。心配かけてごめんなさいね」  でも、でも、と。ちらちらと視線を妹に向けつつも言い募ろうとする娘を遮り、おいでと腕を広げる。一瞬ためらう素振りを見せたもののやがておずおずと近付いて、アナと同じように腕の中になだれ込んできた。口では注意しつつもきっと羨ましかったのだろう。  こんな小さな娘にも心配をかけてしまっていたことにずきりと胸が痛む。夢見が悪かったから、構ってもらえなかったからと、幼子みたいな理由で。 母親ともあろう者がなんて不甲斐ないのだろうか。夫にさえも、自分本意な想いを向けてしまっていただなんて。謝ろうにもその夫から逃げたのは自分自身でしかなくて、 「──イデュナっ、」  追いかけてきてくれるのはいつも、彼ばかりで。  部屋中に響いた声に視線を巡らせるよりも早く、子供たちごと抱きしめられる。パパくるしい、と。アナがぎゅうっと目を閉じて楽しそうに叫んだことでようやく、腕の力が弱まり、それまで首元に埋められていた顔とようやく対面できた。走ってきたのだろうか、荒い呼吸に合わせて肩を揺らしている。 「どこを探しても、いなくて、」 「あなた、お茶会は」 「適当に切り上げてきたよ、そんなもの」  伸ばした手を取られ、上気した頬をすり寄せてくる。ほんのりと汗までかいている彼に、胸が締め付けられた、どうして、どうしてそこまでやさしくなれるのだろう、わたしみたいな自分勝手な女なんかに。 「ねえアグナル、ごめんなさい、わたし、」 「君は、」  もう少しわがままを言ってくれてもいいんだ、と。浅葱色の眸を隠した彼はぽつりと、わたしの謝罪を遮って。君の想いを汲み取るにはまだまだ未熟だから、言葉にしてくれていいのだと。私も精一杯受け止めていくからと。また強くなり始めた腕に気持ちをこめて、彼は言う。  ぽろぽろ、こぼれていく雫は朝の恐怖さえ押し流していってしまうようで。離れてしまうことがこわいから抱きしめた、子供たちを挟んで。そうして与えられたくちびるが夢からようやく救い上げてくれた。 (忘れちゃってるね、わたしたちのこと) (こういうの、あうとおぶがんちゅーだって、ゲルダがいってたよ、エルサ)
 ママはきっと夢見が悪い。  2016.1.20