地面はあまりに遠すぎて、
くるくると回っていた、世界が、さながら回転木馬にでも乗った時みたいに。元のかたちを失っていく視界に平衡感覚さえも奪われてしまって、思わず身体が傾ぐ、その背が地面に着く前に押し留められた。
確認する意思はなかった、ただ重力に従って首が後ろへと倒れただけなのだけれど、ゆっくり移り変わっていくおぼろな景色がやがて人らしき姿を捉えた。
「イデュナ、」
「大丈夫、よ」
きっとかけられるであろう言葉が降ってくる前に口にしたけれど、それが真実味をまったく持っていないことは自分が一番わかっていた。まだぐらぐらと、目の前がはっきりとしない。このままでは酔ってしまいそうだったのでひたとまぶたを閉じた。
しばらくこうしていればそのうち元に戻ってくれるはず、早く立ち上がってほらね大丈夫よだなんて笑えるはず、そう、なにもかもいつも通りに。
「…あまり眠れていないだろう、最近」
「そんなこと、ないわ。いつもベッドに入っているじゃないの、あなたと」
「書類が置かれたままだった」
「それは…」
この国の慣習、貿易相手やその国の各大臣の名前。それらを月夜に照らして覚えているのだと、答えなくても知られているのだろう。恐る恐る眸を開けばまだ、わたしの世界は揺らめいていて。想像していたような怒りを含んだ表情はなくて、そこにはただ悲しそうに眉をひそめた夫だけがいた。
落胆しているのだろう、きっと。当たり前だ、睡眠をまともに取っていないくらいで体調を崩す妻など恐らく、彼には必要ないはずだから。国王である彼の隣にいるべきは完璧な王妃なのだから。失望されるのは嫌だった、もういらないのだと、君ではなかったのだと。存在意義を失ってしまうのがこわかった、とても。
身体を起こそうと足の裏に力をこめてみるけれど失敗して、彼の腕に依然抱き留められたまま。
「無理をするな、イデュナ。君は少し頑張り過ぎだ」
不要なのだと暗に示すようなその言葉に首を振る、横に、わたしはまだがんばれる、こんなものがんばっているうちにも入らないのだから。
思いきり腕を振り払って上体を起こす。勢い余って地面に衝突しかけたところをなんとか踏み止まって、足元を確認、大丈夫、わたしはひとりで立っていられる。
「──あなたの隣に立つためですもの」
振り返って微笑んでみせたのに、落ちた眉はまだ、向けられたままで。
(あなたの隣にいることを許してもらえる間は、立っていなくちゃいけないの)
ママはいつだってがんばりすぎる。
2016.1.30