しあわせな物語はいつだってそこに、

「──そうして王子と村娘は、いつまでも幸せに暮らしました、…あら、」  おはなしよんで、と。物語をせがんだはずの娘ふたりは、めでたしというお決まりの括り文句を口にするよりも先に、わたしの膝を枕に別の世界へと旅立ってしまっていた。  どんな夢を見ているのか、それはわからないけれど、ゆるんだ口元を窺うにどうやら悪いそれではなさそう。鏡合わせのようなふたりの表情に、もしかすると同じ夢の中にいるのかしら、と。起こさないよう、微笑みを頬だけに留めて。 「君の声はまるで子守歌のようだな」 「あら、あなたまで眠ってしまうの?」 「いいや、もう少し、」  それまでベッドサイドに腰かけ娘と一緒に耳を傾けていた夫は穏やかな笑みを一つ、身を乗り出して口づけてくる。少し、とは言い難いそれに思わず視線を下げたけれど、ふたりは相変わらず眸を閉ざしたまま。どうやら目隠しする必要はないみたい。  安堵して顔を上げれば、悪戯っ子のように肩を竦めた彼と眸が絡んだ。 「残念。まだ立ち上がれないわ、起きちゃうもの」 「別に移動しなくてもいい」  ぎし、スプリングが軋む。子供用のベッドではさすがに大人ふたりの体重は支えきれないのか、彼が一つまた一つと距離を詰めるたびに悲鳴のように音が響いた。あるいはこの叫びで目を覚ましてしまうのではと、確認するよりも先にあごを捉えられ、くちびるがまた、奪われる。  ちらりと眸を向けてみたものの、楽しそうにまぶたを閉ざした彼に文句を言うこともできず。気を大きくした舌がやがて侵入した時にはさすがに本を置いて引き剥がそうとしたけれど、触れるよりも先に手首を捕らわれてしまった。  わざと立てられる水音に、なぜだか心がくすぐられていく。目覚めてしまったらどう言い訳するというのか、解放されたらどう文句を言ってやろうか、そんな考えさえとかしていくみたいに。  そうしてようやく十分な酸素が与えられて思わず大きく息をつくわたしの口を硬い手が塞いだ。しー、と。自身の口元に人差し指を当てた彼が、内緒話を伝える子供のように息を洩らす。 「子供たちが起きてしまうよ」  とん、と。上体を押されるがまま、シーツへと傾いでいく。落ちる寸前に受け取られた背中がゆっくりと下ろされ、完全に見下ろされる格好になってしまった。こうなれば彼の独壇場、振り払えないのをいいことに、きっと思うままにされるに違いない。  せめてもの抵抗に頬をふくらませて、ふと、浮かない表情を乗せた夫に気付いた。いつもならば、子供みたいに振る舞っても無駄だよ、だなんてこぼすはずなのに、どこか痛みでも感じているみたいに眉を寄せて。 「…君は、しあわせなのだろうか」  それは悲痛に喘ぐ叫びにも聞こえた。君にしあわせを与えられているだろうかと、もう一度。ともすれば自問しているみたいに。 「物語の王子のように、私は完璧ではない。歌だって贈れない。それでも君は、」 「ばかですね」  言葉を繰り返そうとする彼の両頬を包み込んで、くちびるを重ねる、今度はついばみのようなそれで。  寄った眉の中心を指でやさしくほぐして、微笑んだ、出逢ったころと少しも変わらない、ただわたしのしあわせを一番に考えてくれている彼に。 「エルサと、アナと、それからあなたが──アグナルが傍にいてくれる、それだけでいいの。それが、わたしのしあわせなの」  あなたは違うのかしら、と。語尾を上げ、さっき向けられた悪戯な笑みをそのままに返せば、面食らったようにまたたきを落とした夫はようやく笑った。敵わないなと、口づけを降らせてくる。  これがしあわせでなくてなんだと言うのだろう。かわいい娘たちが膝で眠っていて、目の前のいとおしい夫が昔と変わらずくちびるを合わせてくれる。ただそれだけのことがどれだけしあわせか、彼にわからせたくて、腕を首に回す。 「──しあわせじゃないなんて言ったら、許さないんだから」 「─…それは大変だ」  苦笑とともに重なった影に、口づけを。  子供たちの寝息は、いつの間にか消えていた。 (あつあつだね、パパとママ) (アナ、しーっ)
 家族でいられるだけで、それだけで、しあわせなのに、  2016.2.4