手離すなんて選択肢は最初から存在していなくて、
ぬくもりが離れて一瞬、なにが起こったのか理解した途端、残された熱が頬へ首筋へとまたたく間に侵食していった。熱い頬を挟み込んだままの彼女がどんな行動を起こしたのか、なんて。分かりきったことだというのにそれでも抑えることができない。
わずかに距離を置いたイデュナは、私を映した眸をやわらかくゆるめてふわり、微笑む。
「ね、アグナル。わかってもらえましたか」
私に負けないくらいに染まった彼女が、最後まで口にしなくても伝わったでしょう、とでも言わんばかりに首を傾げる。
分かっている、分かっていたとも。君がどれだけ私を想ってくれているのか、どんな気持ちでくちびるを重ねてくれたのか。そんな自惚れにも似た希望的観測を持ってもいいのだろうか、私が。彼女にはもっとふさわしい男がいるはずなのに、そんなこと理解しているはずなのに、
「わたしはもう、あなたでなくちゃだめなんです」
どうしようもなく、勘違いをしてしまう。こんな私でも彼女の傍にいてもいいのだと、甘い夢を抱いてしまう。
「ほら、また」
ぐいと引き寄せられ前屈みになれば、空をとかし込んだ瞼が間近に迫る。ふっくらと色づいたくちびるがやけに視界に入ってくる。合わさった額から伝わってくる熱は私のものか、それとも彼女のものなのか。判別つかないくらいには浮かされているようだ。
諌めるように細められた目がじとりと音をつけて寄越される。
「なにか余計なこと考えているでしょ」
「む。余計なこと、とは」
「私は相応しくないだとか、傍にいてもいいのかとか、そんなところ」
的確に言い当ててきたイデュナは最後に、外れてないですよね、と一言。上がった語尾とは反対に言葉には確信しか含まれていなくて。
素直に頷いた私を見とめて、彼女はかわいらしく頬をふくらませる。そんなことだろうと思いました、などと子供みたいに拗ねてみせて。
「わたしはもう伝えました」
わたしの想いを、心を、すべて。
頬をこれでもかと朱に侵されていながらそれでもきっぱりと、一途な眸を向けてくる。逃げなどという選択肢は与えられない。私に残されたのは、選び取るべきなのはただ、それだけで。
添えられたままだった両手をそっと掴んで引き離せば、つと、彼女の眉がひそめられる。傷付いたその表情にけれど罪悪感を覚えるよりもいまはただ、触れたいと。純粋にそればかりを願って。
「イデュナ、」
ぐいと握った手首を引き寄せ、体重を受け止める。くちびるが重なるその前に、胸に抱えていた想いを、心を、一瞬にこめた。
(私にはもう、君しか見えないんだから)
一歩踏み出しました。
2014.8.13