それでも心は届いたらと、
ぐらりと傾いだ背中を受け止め、目当てであろう本を難なく取れば、視線を向けてきたイデュナが恨めしそうに頬をふくらませた。
「これくらい自分で取れるわ」
「ジャンプまでしていたのはどこの誰かな」
「幻覚よ」
「かわいらしい幻覚だ」
表紙の埃を払い手渡せば、自称幻覚は子供みたいにふて腐れつつありがとうございますと本を受け取る。手を伸ばしても背表紙にさえ届かなかったのだから、どれだけ待ってみても取り出せることはなかっただろうに。ぴょんぴょん跳ねる彼女をもう少しだけ見ていたい気持ちもなくはなかったが。
払ってもまだ白く濁っている表紙のタイトルを指で辿る彼女につられ、文字を追っていく。どうやら遠く離れた谷に棲むと言い伝えられているトロールについて記したもののようだった。
こんなお伽噺にも思える古い文献でさえ読み解こうとするほど、彼女は勉強熱心だった。たとえば作法であったり教養であったり、果てはアレンデールの歴史も学び、吸収していこうとするのだから、できれば極力勉学に背を向けていたい私としては舌を巻くしかない。と同時に浮かぶのは彼女に対しての心配ばかり。
どうにもイデュナは焦っているようにも、不安がっているようにも見えた。国王の妻に相応しい女性になろうだとか、恐らくそういった類の考えからの行動なのだろう。彼女の努力は純粋に喜ばしいものであるが、だからといって私の手を一切借りず自立しようとしていく姿に寂しさを覚えないわけがない。私だって戴冠したばかり、成長するのなら共にと願っているのに。
席に戻っていこうとするイデュナの手を捕らえたのは必然、ぐいと引き寄せた反動で振り向かせ、くちびるを奪い去った。しばしの触れ合いの後、無理やりに引き剥がされる。
「アグナル…っ、誰か来たら、」
「私は構わないよ」
瞬間、彼女の頬が紅へと転じていく。書庫に入室する前、城仕えたちに一時間ほど立ち入りを禁じたことはこの際黙っておこう。月が姿を現してさえも書物を読み耽る妻との間に訪れた、久方ぶりの時間なのだから。
さすがに全力で拒まれてしまったら大人しく引き下がろうと考えていたが、ふいと逸らされた横顔を窺うに拒絶は示していないようだと判断。額に、頬に、首筋に口づけを降らせて。やがて向けられた眸はわずかに自嘲の色を含んでいる風に見えた。
「…手が届けばよかったのに」
「届かないままでいいよ。──私がいるからな」
くちびるに自身のそれを届ける、どうかこの想いと一緒にと願いをこめて。
(手を携えていけたらと願うのに、)
ふたりで支え合って生きていたらいい。
2016.2.8