この愛はとうに捧げていた。

『生まれてはじめて視線を交わしたあの日を、君は覚えているだろうか。  水面色の眸は、いままで見たことがないほど鮮やかに映ったんだ。なんて澄んだ眸だろう、なんてまっすぐな眸だろうか、と。私は一瞬で君の眸に、君の心に、惹き込まれた。その時からもう抜け出せる気はしなかったし、抜け出そうとも考えていなかった。こんなにも美しいものに出逢えたのにどうして離れることができるだろう。もしその日きりの間柄だとして、それは君の魅力に気付けない愚か者か、あるいは君の眩しさに耐え切れなかった者だ。  そのどちらでもない私はただ、君の眸に映してもらうことしか考えられなくなった、そういう意味では愚か者だ、超が付くほどな。君の眸に捕らわれてしまいたかったんだ、ただ、それだけだった。  誰にでも花のような微笑みを向ける君はもちろん、私にも平等に与えてくれた。錯覚してしまいそうだった、もしかすると同じ想いを抱いているのだろうかと、そんな風に。  やがて期待は願いになって、視界に入るだけでいいと思っていたものが、君の傍にいたい、と。誰よりも近くに、叶うなら隣に並び立ちたいと、浅ましすぎる希望を抱くには十分すぎるほど、君は優しかった、優しすぎた。  願いが叶うまでの経緯を書き連ねるのはやめておこう。君も知っていることであるし、なにより、若かったことを言い訳にしたって恥ずかしすぎる。思い出は綺麗なままで仕舞っておくべきだ。  成就したからといって満足したわけではない、君も知っての通り、私は欲深いんだ。想いを伝えたら次は一生を添い遂げたいと、永遠の誓いを交わしたら君と私の血を受け継いだ子が欲しいと、かわいい娘を授かったら成長を見届けたいと、欲は膨らんでいくばかり。  そのどれもが順調に運んでいったのはきっと、いや絶対に、君が隣にいてくれていたからだ。エルサとアナに出逢えたのも、私がいまこうして国王として国を治めていけることも、すべて。他の誰でもない、君でなければならなかったんだ。君がいないと、私はなにもできない、ただの愚か者なんだ。  君と誓いの口づけを送り合って、もうすぐ二十年を数えようとしている。娘たちも大きくなるわけだ。君は出逢った頃の少女と何一つ変わりはしないけれど。私は少し老けてしまっただろうか、尋ねたとして、そんなあなたも好きですよと微笑みを添えて答えてくれるのだろうな、きっと。  視線を背け合った日もあった、心を重ねない夜が続いた。それはなにもエルサの魔法のせいではなくて、私の弱さが原因だ。もう少し強くあれたら、誰も傷付けることなく最善の道を選び取ることができただろうに。  それでも君は隣に立っていてくれた。手を、握ってくれていた。それだけで、ただそれだけで私は、私であれたんだ。  そしてどうか、こんな日にかこつけなければ想いを伝えられない私を許してほしい。  イデュナ、いまでも君を──』  *** 「─…大事な言葉が書かれていませんけど」  手紙から顔を上げた彼女はどこか悪戯な表情を向けてきた。つられて肩を竦め視線を重ねる、その眸はあの日惹き込まれた色をとかしたまま。 「船旅が終わったら書き上げようと思っていたんだよ」  だからこそ帰らなければならなかった、絶対に。この手紙を届けるために、出逢ったあの瞬間と変わることのない私の想いを伝えるために。  筆を取ってから三年ほどかかってしまったが、優しい彼女のことだ、きっと許してくれるに違いない。遅いですよと、少女のように眉を下げて。  手を取って指を絡める。ふと、はじめて触れた日を思い出した。若かりし日の私が感じていた緊張を、高鳴りを、果たして少女も抱いてくれていたのか、尋ねなくてもわかっていた。 「──あいしているよ、イデュナ」 「──遅いですよ、もう」  神に誓った口づけをいま、もう一度。どうかこの想いが伝わりますようにと、願いをこめて。 「─…わたしも。あいしています、アグナル」  願いはもう、叶っていたようだけれど。 (そうしてもう一つ願ってもいいのなら、このまま指が離れてしまわないようにと)
 しれっとED後の夫妻。  2016.2.24