振り返ったって君は君でしかないというのに、

 悪戯現場を押さえられたというのに無邪気なままでいられるのは、子供の特権なのかもしれない。ため息を一つ、極力足音を忍ばせ近付く私に向かって、あっパパだ、などと声を揃えるふたりに人差し指を口の前で立てて見せた。  幼い娘たちの目線に合わせて屈み込む。私の言いつけを素直に聞き入れたふたりは、顔を見合わせ小さな人差し指を口元へ、しー、と。横に広がるくちびるが笑みの形を取っている。 「ね、パパ、みてみて!」 「アナと一緒にがんばったの!」  声を落として、けれど弾む口調はそのままに成果を報告してくる。 「三つ編みつくったのはわたし!」 「リボンつけたのはアナだよー!」 「ほう…、綺麗に作れているじゃないか」  ママが起きてしまうだろう、そんな風に注意しようと思っていたのに、娘たち渾身の作があまりにも強く記憶を呼び起こしてきたものだから思わず感想を口にしてしまっていた。  一人掛けのソファに腰を下ろした姿勢で夢に落ちている妻は、過去から飛んできたのかと錯覚してしまうほど昔の姿そのままだった。子供を産んでからというもの随分と母親らしさを纏ってきたと思っていたが、まぶたを閉じ規則正しい寝息を繰り返している様からは昔と変わらないあどけなさが感じられて。  出逢ったばかりの彼女はよく、長い飴色の髪を綺麗なおさげにしていた。くるりと振り返るたび揺れる髪に、風にあおられるリボンに、目を奪われていたあの頃を鮮明に覚えている。  それがいつからだろう、きつく結い上げた髪にすべてを隠してしまうようになってしまった。一国の主の妻という重圧もなにもかもを、年齢以上に落ち着き払った笑顔の裏に閉じ込めて。  まだ母親の髪で遊びたいのか、次の言葉を待っているエルサとアナの頭をそれぞれ撫でる。 「ママはお疲れみたいだから、このまま休ませてあげよう」  遊びの終わりに一瞬肩を落としたものの、母親に似て優しく素直に育ったふたりは頷き、また別の遊びを求め駆けていく。はしゃぐその背に、こけないようにとだけ声をかけた。  そうして訪れた静寂に自然、時が巻き戻っていく。なににも縛られていなかった彼女が帰ってくる。そ、と。淡い色を持つ頬に手を添える。 「まるで昔の君みたいだ」 「―…変わってしまったのかしら、わたし」 「いいや、君はなにも変わっていないよ」  寝起きだからか、僅かに低い調子に合わせてゆっくり言葉を向ける。澄んだ眸が隠れて、現れて。重ねられた視線が見つめているのはきっと、ここにいる私ではない気がした。 「いまのわたしは、嫌い?」  窺うように、ともすれば怯える子供のように、揺れる眸に私をとかし込む。  嫌いかと、尋ねるそれに持ち合わせた答えなどたった一つしかないというのに、いつだって彼女はここにはないものばかりを恐れて。彼女は誰よりも、変わってしまうことを怖がっているのかもしれない、と。自身にも言えることをそっと、押し留めた。  触れたくちびるが少し、震えている気がする。 「好きに決まっているじゃないか、」  ただもう少し、私に打ち明けてくれたら。そんな願いは呑み込んだ、これ以上彼女に気負わせたくはなかったから。  膝裏に腕を回せば、大人しく首に両腕をかけてくれた。抱え上げた重さだって、首筋に顔を寄せるその仕草だって、私が心を奪われた少女となに一つ変わっていないというのに。 「せめてベッドで寝てくれないかな」 「だって、ひとりのベッドがあんまり広いから」 「じゃあ私も一緒に。それなら寂しくないだろう」 「でも公務は、」 「今日は閉店だ」  言い募ろうとするくちびるにもう一度、今度はついばみだけに留めて。口の端がほんの少しだけ、嬉しそうに上がったように見えた。  再びきつく抱き付いてきた彼女のおさげが目の前で揺れる、不器用に結ばれた赤いリボンが眸に昔見た色を残していく。 「ねえ、アグナル」 「ん」 「すきよ」 「─…私も。すきだよ」  喉元まで顔を覗かせたあいしてるを一旦閉じ込め、彼女が口にした子供みたいな愛に応えた。いまばかりは、イデュナと同じ時に浸っていたかったから。 (変わってしまったのは、あるいは私の方なのかもしれない)
 寝てるママの髪をあみあみするエルサちゃん(7)とアナちゃん(5)  2016.4.10