ともすればこの雪のようにとけてしまったのかもしれない、
懐かしさを感じる自身のおなかに手を当てれば、かすかに胎動を感じて。
「あなたは元気な子かしら?」
撫でながら語りかけてみれば、返事でもするみたいにぽんと一つ、内側から蹴るような音が聞こえた気がした。一人目の時も随分と賑やかだったけれど、この子はもっと活発な子に違いない、もしかするとわたしのお転婆を受け継いでしまうかも。そう考えるだけで笑みの広がる頬を止められない。
まだ見ぬ子供の姿を思い浮かべる。はじめましての男の子か、それともまた会ったわねと女の子に微笑むのか。顔を見るその瞬間まではどちらかはわからない、
「元気に決まっているさ、なんたって君の子だからな」
「あら、それはどういう意味かしら」
けれど、どちらでも関係ない、だっていとおしそうにわたしのおなかに触れるこの子の父親も、そうして姉になる娘も喜んで迎えてくれるだろうから。
「ママ! パパ!」
ふと、元気な声の上がった方向に首を傾けてみれば、開け放した扉の隙間から覗く小さな影が一つ。
視線が合い、ぱあと顔を輝かせ。きっとゲルダの目を盗んでひとりでやって来たのであろう娘は、とてとて、なんて擬音が響きそうなほどのおぼつかない足取りでこちらへ向かってくる。重たそうな頭をゆらゆら揺らし、そうして駆け足になって、
「あっ、」
手を差し伸べる暇もなく、べしゃりと倒れる小さな身体。あんまりに突然なことにわたしもアグナルも、そうしてエルサさえも動きを止めていて。
視界にちらちらと白いなにかが舞い始めたころになってようやく顔を上げた娘が、くしゃり、顔を歪めた。
こうして感情が昂った時──たとえば嬉しい時、悲しい時、そしていまのように痛みを感じた時に、呼応するように雪が降る。エルサの感情になによりも忠実な雪の勢いでその度合いが測れるのだけれど、すでにうっすら積もり始めた床を見るに相当痛かったに違いない。
我に返ったアグナルがすぐさま近寄って前髪をかき上げる。ひどく打ち付けたのか、額は真っ赤に染まっていた。
「エルサ、大丈夫か? ここが痛いのか?」
焦りの含まれた父親の言葉に、けれどエルサは首を横に振る。額と同じく赤く色づいた目尻に雫をいっぱいに溜めているというのに、流すこともないまま。
エルサもうおねえちゃんだから。最近の娘の口癖を思い出して、息を一つ、きっと今回だってお姉ちゃんだからと痛みを我慢しているのだろう。こんなに小さなころから我慢なんてしなくてもいいのに。
大きなおなかに気を付けながらもしゃがみ込み、娘と目線を合わせる。額に触れて、やさしく撫でて。
「いたいのいたいのー、とんでけ!」
いつだかわたしもこの子くらいのころに教わった、魔法の呪文。
目を閉じいかにもな風で念じ、飛ばした先は夫の額。指先を向け目配せをすれば、途端、額を押さえたアグナルが唸り声を上げる。
「痛い…とても痛いぞ…」
「え、パパ、いたいのきちゃったの…?」
「痛いの来た…、すごく来た…」
眉をひそめ全力の演技を繰り出す夫と、自分の痛みも忘れ心配そうに顔を覗き込む娘の図はなんだかとても奇妙だった。けれども見事この作戦は成功したみたいで、気付けば雪は止み、床に降り積もったそれらも姿を消そうとしている。
終いには床に片手をつき、ぐああ、などと。どこか刺されでもしたのかと思うほど瀕死の声を上げ始めた夫を横目に、エルサの額を撫でる。
ふと顔を上げた娘の額に、そ、と。痛みが走らないよう慎重に、くちびるを触れさせる。つるりとした額はやっぱりまだ、熱を持っていて。
「ねえエルサ、我慢なんてしなくていいのよ」
「そうだぞ、パパだってこんなに痛がっているんだからな」
「あなたはもうちょっと痛がってて」
きょとんと眸を丸めている娘にはまだ意味がわからないのかもしれない。けれどどうか、我慢することを習慣としないでほしかった。泣き方を忘れないでいてほしかった。
うーん、と。考え込むように腕を組んだエルサは、やがてぱあ、と笑顔を浮かべる。天使みたいな微笑みはどこまでも純粋で、うれしそうで。
「でもね、エルサ、いたくてもだいじょうぶだよ」
だって、
「だってね、ママとパパがしんぱいしてくれるから!」
あたたかな雪がふうわり、舞い落ちた、まるで娘の心を表すように。
(ああ、この子はどこまでやさしすぎるのか)
よちよちエルサちゃん(2)とママパパ。
2016.5.29