たまらなく好きなんです、あなたのすべてが。

 かたり、かたり、と。心地よい揺れもまた、眠気を運んでくる。気遣いのあふれた歩みが、頬に触れるあたたかな背中の体温が、それからやわらかい口調が。どこかへ散らしたはずの睡魔をいとも簡単に集めてしまうのだ。  目の前の広いこの背に体重もなにもかもを預けられたら、それはもうとても気持ちがいいのでしょうね。 「それから、─…イデュナ?」 「…あ、え、ねてない、わよ」 「眠いなら寝ていてもいいんだよ」  夢の世界へと傾きかけていた意識を、頭を振ることで取り戻す。小さな笑みを交えた彼はそう言うけれど、眠りに落ちてしまうことと同じくらい、いいえそれ以上に、彼の話を聞いているのがしあわせだった。  普段面白いほどに寡黙な彼はけれどまだ太陽も顔を覗かせていないいまの時間、雄弁に語って聞かせてくれる。空に輝く星の名前を、遠くで声を上げている鳥の名を、子供時代のやんちゃなエピソードを。あるいは、あなたと起きていたいの、だなんていうわたしのわがままのために頑張って口を動かしてくれているのかもしれない。そうだとしたら、とてもかわいいのだけれど。  彼の選ぶ言葉の一つ一つ、白い軌跡とともにのどから流れる声の一音一音が、たまらなくやさしくて、やわらかくて。耳にするだけで簡単に、しあわせな心地に浸れてしまうのだ。 「ねえ、もっと聴かせてちょうだい、あなたの声」 「そうしたいところだが、もう着いてしまったよ」  苦笑と同時に、わたしたちを乗せてくれていた馬の足が止まる。  先に降り立った彼に手を引かれ、名残惜しくも地面と再会を果たした。本当はもう少しこのままでと願っていたのだけれど、目的地に到着してしまったのなら仕方がない。気を抜けばまどろんでいこうとするまぶたを擦り、手を繋いだまま、数歩。促され、草むらに腰を下ろす。 「もうすぐだ」  彼のささやきが早いか、眸が眩むのが先か。  ひたり、と。はるか向こうの稜線から顔を出した光が、わたしの眸を、眼下の街々を、順々に照らしていく。ああそうだ、さっきまでは暗くてわからなかったけれどここは、彼が好きだと言っていた場所。アレンデール全土を見渡すことのできる、素敵な場所だった。朝陽をとかし込み徐々に街を夜から覚ましていく様はなんて幻想的で、なんて美しくて。 「これを見せたかったんだ、君に」  感情に見合う言葉も選べずただ見下ろしているだけのわたしに、彼は微笑む、嬉しそうに。まるでとっておきの宝物を披露した少年みたいに。  また一つ、わたしの知らない彼を発見できた喜びに、そ、と。同じ表情を返せば、彼の笑みが深まった。 「─…また、」  もうすぐ全身を現そうかという太陽を前に、呟けば、視線を向けてきた彼が首を傾げる。そんな仕草一つさえ、わたしにとってのはじめてで。 「また、一緒に見ましょうね」 「ああ、約束しよう、イデュナ」  差し出された小指に、自身のそれを絡めて。  今度この場所を訪れるときには、また一つ、知らない彼に出逢えているのだろうと。そんな予感に胸をふくらませた。 (まだどこかに隠れている、あなたのすべてが)
 眠そうなイデュナさんが書きたかっただけ。  2016.11.30