やさしくふれていいですか。

 まるでおもちゃを与えられた子供みたいだ。 「ね、ねえ、アグナル…?」 「ん」 「ん、ではなくてっ」  戸惑いを含んだ声が振り返ろうとするのをなんとか押し留める。  部屋の隅に佇む鏡が、わずかに紅を散らしたイデュナと、その後ろで彼女の髪を弄んでいる私を忠実に映し取っていた。恥ずかしいのか俯いてしまっている彼女の様子がかわいらしくてつい、鏡面世界を見つめてしまうのだが、やめてくださいと消え入りそうな声で言われてしまえば仕方がない。大人しく視線を離して、実物に据える。  明るい飴色の髪は朝日を受けて眩いばかりに光を持ち、僅かに開け放している窓からの風にふわふわと身を任せていた。  そっと手を差し入れても、指に絡まることなく抜けていってしまう。こんなにもやわらかな髪をきつく結い上げることが出来るのだから不思議だ。 「きれいだ」  思わず口から滑り出た言葉はなんとも簡潔なものだった。本当は詩人のようにもっと着飾った単語で褒められたらいいのだが、そんな器用なことが私に出来たなら今まで苦労などしていない。  愚直すぎるそれが、けれど彼女には込めた意味まで届いたようで、露わにしたうなじが夕陽を彷彿とさせるほどに染まってしまっていた。  紅に侵食されていることに自分でも気付いたのか、首元を隠そうと伸びてきた手を捉える。 「…っ、どうしてそんな、突然」 「突然なんかじゃない、ずっと思っていたよ」  髪を一房、すくい上げてくちづけを一つ。  彼女のようにやさしく揺れる髪に、唯一彼女だけが縛ることの出来るそれにいつか触れられますようにと、願い始めたのはいつからだっただろうか。イデュナに出会ってすぐの気もするし、惹かれるようになってからの気もする。いや、一目見た瞬間から気持ちが傾いていたのだから、つまりは初めからということだ。  最初から私は、どうしようもないほど焦がれていたのだ、彼女に。 「きれいだ、イデュナ」  正直にもう一度、言葉を繰り返せば、意外と恥ずかしがり屋な妻は更に視線を下げてしまう。 「髪が、でしょ」 「いいや、」  どうせもう染まってしまっているのだ、一つくらい色を残しても大丈夫だろうと、晒されたままのうなじにくちびるを落とす。彼女の熱がくちびるを伝ってきた。 「君が、だよ」  言葉をこぼすと同時、色が強くなった。 (君に、君のすべてに)
 パパはママの髪が大好きだといい。  2014.9.8