愛し方さえも、君のにおいがした。

「─…もういかなくちゃ」  何度、口づけを交わしただろうか。拒むように俯いた彼女は、別れの言葉とともに身体を離そうとする。その背を思いきりかき抱きもう一度くちびるを重ねた、今度は強く、逃れてしまわないように。  分かっていた、彼女を帰さねばならないことも、この関係を終わらせなければならないことだって。けれど分かっているからといってすぐさま止められるはずも、手離せるはずもなく。そうして未練がましくも彼女のやわらかなくちびるを求めてしまっている。どうしようもないほど深く、愚かな優しさに付け込んで。  あるいは欲のままに身体まで重ねてしまえればいっそ、楽になれるのかもしれない。感情に蓋をしてただ、熱だけをぶつけることができたのなら、どんなにか。  ひそかに胸元へと手を伸ばし、けれど握り締めたそれを彼女の頬へ。髪を乱し、距離を詰め、もっと深く、ふかくと。 「…っ、イデュナ、」  呼吸の合間にいとおしい名を。唯一心を安らげ、同時に締め付けてくるその音を紡げば、抱き留めた身体がびくりと震える。 「やめて、」 「イデュナ、」 「呼ばないで…、お願いだから…」  くちびるがまた、寂しさを覚えた。そうして両手で顔を覆ってしまった彼女は声を揺らす、やめて、呼ばないで、あなたが刻まれてしまうからと。 「あなたを、忘れられなくなってしまうから…っ」  きっと私のようにもう、とうの昔に刻み付けているだろうに。お互いがお互いでしかならないのだともう、ずっと以前から感じているだろうに。それでも私たちは自身の感情から目を背け続ける、この心は許されてはならないから。許してもらえるはずもないから。私も、彼女でさえも。  締め付けられていく、言葉が、胸が。力の抜けた腕の中から彼女がするりと離れ、駆けて行く、城下町へ。彼女がいるべきその場所へ。  ようやく追いついてきた感情が堰を切ったようにこぼれ始め、頬を濡らしていく。  言うことを利かない眸を覆った腕から、彼女のにおいが、した。 (来週は次期国王の結婚式だと、誰かの陽気な声が遠く、)
 あるいはこんな世界線も。  2017.6.5